2011年の音楽生活(中期)
はや三月、今年は月毎に散歩時のヘッドホンアンプを替えている。一月はSIT
アンプ(5台所有)
を聴き、二月は2N7000 SEPPアンプ(3台所有)を聴いた。
SIT アンプは何の不満もない最高の音だった。2N7000は初日だけは少し劣ると感じたが
2日目からはいい音と思えるようになった。耳の馴化があるのだろう。
三月はZDRアンプにした。これは聴いた瞬間DCアンプを超えていると思った。原理からしても
妥当な結果だろう。
シャッフルで聴いていると曲によっては平板に聴こえることがある。録音の良しあしがわかるので
ある。例を挙げると、ビリー・ジョエルの"Everybody
has a dream"、ザ・ビートルズの"Hello
Goodby"
が悪く、優秀録音のものは凄まじく良い。このアンプの特徴だと思う。
今年はLME49810TBを利用したZDRパワーアンプを計画しているのだが、このようなアンプ
になるのだろうか。
最も偉大なアルバムBEST500 米ローリングストーン誌
(01) 『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(The Beatles)
(02) 『Pet Sounds』(The Beach Boys)
(03) 『Revolver』(The Beatles)
(04) 『Highway 61 Revisited』(Bob Dylan)
(05) 『Rubber Soul』(The Beatles)
(06) 『What's Going On』(Marvin Gaye)
(07) 『Exile on Main Street』(The Rolling Stones)
(08) 『London Calling』(The Clash)
(09) 『Blonde on Blonde』(Bob Dylan)
(10) 『The White Album』(The Beatles)
(11) 『The Sun Sessions』(Elvis Presley)
(12) 『Kind of Blue』(Miles Davis)
(13) 『Velvet Underground and Nico』(The Velvet Underground)
(14) 『Abbey Road』(The Beatles)
(15) 『Are You Experienced?』(The Jimi Hendrix Experience)
(16) 『Blood on the Tracks』(Bob Dylan)
(17) 『Nevermind』(Nirvana)
(18) 『Born to Run』(Bruce Springsteen)
(19) 『Astral Weeks』(Van Morrison)
(20) 『Thriller』Michael Jackson
これは!意義というよりセールスを考慮したものか?『Thriller』の評価が低いのでそうでもないようだ。
The Beatlesはまあ別格だが、Bob DylanやJimi Hendrix
も最重要な音楽とみなされているのがわかる。
ラジオの缶詰
録音した番組をストックしておく作業が続いている。これが威力を発揮するのは番組が終了
してしまってからどうしても聴きたくなったときである。
ある程度数がたまってくるとその番組を一生聴くことも可能となる。
現在、小沢昭一の小沢昭一的こころとひるのいこいを蓄積中だが間に合うだろうか。
五木寛之の夜は2004年に終了していた。
ファジル・サイの熱情ソナタ
CDを入手して聴いているがやはり革命的だ。速くて加速感があるが音が全部聴こえているし、
タッチが繊細でブロックコードが驚くほど透明に響く。
手持ちのルドルフ・ゼルキンのCDと比べてみるとやはり全く違っていた。これは教則本に芸術性を
加味した程度のものである。タッチは美しいがブロックコードがきたないし、あるフレーズではいらいら
した感じさえ伝わってくる。第二楽章のかみしめるような弾き方は悪くないと思う。
速さについてはそのフレーズに最適な速さで弾いているとしか言いようがない。新しいコンセプトと
ありえないくらいの耳の良さがもたらすものと考えられる。
等価交換というのは嘘で世界は不等価交換とヴァニシングポイントから成り立っている。
等価交換でつないでいっても最後は不等価交換とヴァニシングポイントで埋めなくてはならない。
それを不条理ととらえるか諦観するかの違いだ。
仏教は諦観のための作り物である。
商品購入の事例を考える。商品価格は原材料費と利潤でできている場合もあるが、市場原理
でべらぼうな価格になることもある。だが最終消費者がその価格で満足すればそれでよいのだ。
これは不等価交換だが最終消費者がヴァニシングポイントとなる。
結婚の事例を考える。妻が性格もよく美貌もよい場合、夫は100%幸せになると思うが、妻
側はどうだろうか。いかに夫の年収が高かろうがイケメンではないのである。
これも不等価交換だがいっしょに暮らすことによって妻に家族愛が発動すればそれでうまくゆく
のである。女性の本能として備わっているはずだが発動しない場合もある。
結婚問題は等価交換で考えるかぎり必ずどこかでうまくゆかなくなる。
精神医学
最近気づいたのだが男はふつうに生きただけで二つのトラウマを持つことになる。
ひとつは美人に相手にされなかったというトラウマ。もうひとつはお金持ちになれなかった
というトラウマ。
まあ稀にそうでない男もいるかも知れないが大半は生きるにしたがってそのような心の
キズを負ってゆくはずである。
そのことは前頭葉の発する顕在意識で覆い隠されているがときどき顔をだす。
初老うつがそうである。また逆切れして犯罪を犯した人の動機も本当はそれだが、正直に
言う事は無い。
新潮文庫 津山三十人殺し
凶行の動機
病気で人生の希望を失ったことと婦女から情交の拒絶に会ったことが動機であると書いてある。
本当かどうかは当人に訊いてみないとわからないが訊いても答えるとは限らないだろう。
このように女とお金のトラウマがダブルでくるとそのもたらすエネルギーは半端でなくなる。
宅間守事件や現在係争中の秋葉原事件を見ても同じ構図である。
ラジオとともに
radika嬢を解雇してradikoolを導入した。こちらのほうが安定しているようである。ラジ太郎は電波の強い
ところにいつも置いているのでなかなか持ち出せない。エネループの電力の管理も大変である。近い将来に
ラジ男爵を導入する予定。
ラジ男爵
山田太一著 沿線地図
テレビではもちろん見たが小説を読んだ。著者はこういう生き方を薦めているのかと思ったが
他のところでは有名大学を出て商社に勤めた人とありきたりの経歴の人とでは人生に大きな
開きが出てくると書いたりしているので、むしろ否定的に見ているのだと思う。
労働に精を出して夜は妻を抱く。奈良時代ならそれで結構幸せだろうが、現代では幸福感を
得るのは難しい。
と思った。
癒しとは?
一度トラウマになったものを埋めるときに得られるものである。だから最初から美女に囲まれている
ような人は美女が癒しにはならない。ふつうの存在でありうとましく感じることさえある。小さいころからお
金に不自由しなかった人にお金の有難味が感じられないのと同じだ。
その点たいていの男は自動的にトラウマが得られるのでこの二つは癒しにもなるしさらなるトラウマに
もなるのである。
いわゆるヒーリングと称するものによって癒しが得られるかといえばそうだとは言えない。
映画 失楽園 魍魎の匣 重力ピエロを観る。どれも質の高い作品だったがそれぞれ暗黒の部分をかかえて
おり観るほうには悪い後味が残る。
映画や文学の世界をある程度の深さまで探求するためにはこのくらいは仕方がないか。
計画停電中にモデムが停止してしまうのがいやなので対策を考えた。ニッケル水素電池でいけるかと思って
調べてみるとACアダプターの出力が交流だった。なんかぞぞっとした。
結局ディープサイクルバッテリーとインバーターを購入して停電に備えることにしたが、これは使用の際に細心の
注意を払わないと危険を伴うしろものだ。
省エネ用に4WのLED電気スタンドを購入した。
簡便なシステム
12V 12AHのバッテリーと120Wインバーターからなる。これなら充電器は別途必要だが5000円
くらいでできる。
LED電気スタンドとケンウッドのCDラジオが使えた。読書しながら音楽を聴いたりできる。
いつものようにウィークエンドサンシャインのテープを聴いていると最後のほうでインストゥロメンタル
ナンバーがかかる。埋め草かと思ったが一応紹介曲で、ラリー・カールトン演奏のCould
it be I'm falling in
love だった。アール・クルーの演奏のものならなじみがある。
意味過剰でない音楽のよさにほっとする。これからはボーカルものは控えてMOS FETアンプでアール・
クルーのアナログ盤を聴こう。このアレンジ、この音色は何度聴いてもいいものだし読書と干渉しない。
そういえば昔、西村寿行の小説をよく読んだがそのときのバックグラウンドにリー・リトナーの音楽を
(RITなど)かけっぱなしにしていた。これがよく合うのだが西村寿行原作の映画「君よ憤怒の河を渉れ」
の音楽はB級ドラマ風のものだった。
最近読書のスピードが速くなってきた。途切れなくなったせいか気がつくと100ページくらい読んでいる。
これなら2日あれば一冊読める。
「海と毒薬」を読んだ。底意地の悪い書き方だなあと思った。遠藤はキリスト教徒と日本人の倫理観の対比
で見ているが、医業をなすものにはヒポクラテスの誓いがあることを忘れているのだろうか。これに反しているか
どうかで悩むのならわかるが。
ヘッセ 車輪の下
速度ばかりにこだわっても良くないかもしれない。このドイツの自然たっぷりの世界に入りこむとその中で
時間がゆっくり流れてゆく。
直訳なのだろうが日本語としておかしい文章が続出している。訳者が下手なのかヘッセが稚拙なのか。
たぶん両方だろう。
映画 トロイ
あの場所では、滅ぼされるのは必定といえる。シュメール人が消えたのと同じだ。さてヘレネ役にどんな絶世の
美女を配するかが興味の的だったがプロデューサーの考えはああなのかと思った。配役の中では一番の美女だ。
カッサンドラは話に出てこなかったが実写版で一度観てみたい。
周波数レコード、オーディオチェックディスク Ver.2
1kHzの正弦波がレコードで得られたのでカートリッジを調べてみた。
適当なボリューム位置でPRA-2000のプリアウト出力をそのまま調べた。AT-F3IIで-45dBに
なったがボリューム固定でほかのものも調べた。
音溝の歪なのかカートリッジの歪なのか残念ながらこれだけではわからない。
高橋健二訳 車輪の下
その家の属しているほうの小路は町中でいちばん長く幅の広いりっぱな小路で、ゲルバー小路といわれていた。
も一つの小路は急な上り坂になっていて、短く狭く貧相で、「タカ」小路といわれていた。ずっと以前に廃業したが、
タカを看板にしていたごく古い料理店にちなんだ名であった。
Die eine,zu welcher das Haus gerechnet wurde und gehörte,war
die längste,breiteste und vornehmste der
Stadt und heiß Gerbergasse.
Die zweite führte jäh bergan,war kurz,schmal und
elend und heiß 》Zum Falken《 ,nach einem uralten,längst
eingegeangenen Wirtshaus,dessen Schild ein Falke gewesen war.
も一つ → もう一つ
タカ → 鷹
に直しておきたい。
アナログレコード三昧
昔買っておいたビートルズ、CCRの輸入盤を今聴いている。20年位前に中古レコードを探していた時に
お店に新品の輸入盤も置いてあったのでいくつか入手したのだ。
子供のころ自分で買った最初のLPはSGTペパーズだったのでそのへんから辿って聴いてゆく。ホワイト
アルバムのグッドナイトまで聴いてその直後にリマスター盤CDのグッドナイトを聴く。
LPと比べて期待していたほど透明度が特に高いわけでもなく、むしろ弦がにごるしグロッケンシュピールが
スカスカに感じる。CDだけ聴いていたらあまり感じないことである。
1%の歪率は透明度には左程影響しない。弦は伸びやかになり高音楽器に彩りが加わる。
新潮文庫 赤毛のアン
年端のいかないこの少女の精神活動の量はすごいと思う。自然と文明と精神活動の比率が
常に問題になるのだがこの三つをうまく消化してゆくのが生きる技術といえる。
アンにとってアイスクリームや紫水晶のブローチが文明でありそれに触れたときの驚きや憧れ
が手に取るようにわかる。
2001年頃のグリンゲイブルズ(緑の切妻)のスケッチ
2911mと2954m
#2911m
この二つの番号にはmというサフィックスがついている。難しいという意味だ。どうやって解いたかは
記録していないのでもういちど解けるかどうかはわからない。解いたという途中経過の証拠画像がある
だけだ。
ここにくるまでに新技法の中段矢倉二連を開発した。
ラジ男爵
FMの感度はIC11と同等。ロッドアンテナで聴く分には差し支えないが録音するとノイズが気になる。
外部アンテナを使うという方法があるがKT-6040の音質には遠く及ばないのでこれはAM専用にした。
ラジオのファイルが30Gに達したのでiPod80Gに移して聴いている。ノートパソコンで聴くとたまに
音飛びがあるのだがiPodでは無いようだ。これで聴くFMの音質は素晴らしい。歪率は0.2%くらいだと思う。
シュアー V15typeIII
歪率2%と出た。オーディオ産業華やかなりしころMMよりMCが低歪という話を幾度も聴いたが
このくらいの差か。
V15の交換針は今でも売っている。
iPod収録のテスト音源でアンプ部をチェック
問題ないようだ。1%の歪はレコードかカートリッジによるものであることは確定。
サンスイAU-α607 MOS PREMIUMを出してきた。これはMM用イコライザーを搭載している。
堅いことを言わなければHMA-9500と同じような音がする。これからはプリメインアンプと
MM型カートリッジで音楽を楽しもう。
MM型カートリッジを3種追加。
ドストエフスキー 貧しい人々
マカール・ジェーブシキン 40歳台 九等官の役人。筆耕で食べている。薄給ながらボーナスあり。
自分はアパートを出てワルワーラ・ドブロショーロワを住まわせすぐ近くの下宿に間借りしてワルワーラ
を監視している。家賃の援助やプレゼントをしている。パトロンのつもり。
ワルワーラ・ドブロショーコワ マカール・ジェーブシキンの遠い親戚にあたる。孤児となりペテルブルグ
に出てきた。推定にすぎないが20代で美女かもしれない。文中で明言はされていない。
最後に金持ちのブイコフに求婚され田舎の村に行ってしまった。
エリック・ゲイルとコーネル・デュプリー
ウィークエンドサンシャインのテープを聴いていると先日亡くなったギタリスト コーネル・デュプリーの
参加曲が紹介されていた。Stuffの "How long will
it last?"という曲の前半がエリック・ゲイルで後半が
コーネル・デュプリーだという。ためがあるのがエリック・ゲイル、流麗なのがコーネル・デュプリーと付け
加えられていた。これなら私にもわかるだろうと思い書庫からCDを出して車で聴いてみた。
奏法は全く違っていてエリック・ゲイルのほうはちょっとポリフォニックなのだが音の終わりがあいまい
になっている。コーネル・デュプリーの方は突き刺すような音色でギターソロを聴かせている。ピーター・バラカン
の言う通りだが、出番を詳しく言うとエリック・ゲイル、コーネル・デュプリー、エリック・ゲイルとなっている。
映画 戦争と平和
映画なので二日で見終わった。アンナ・カレーニナよりもいろいろな要素がでてきて面白い。やはり
貴族や将校を中心としたお話である。トルストイの歴史観は戦争が起こり平和がくるがまた戦争は起こる
という何の気負いもないナチュラルなものだった。
一方ロシアという国はモスクワが占領されても焦土作戦を行い和平に応じないという非常識なやり
方をとる国であることがわかった。
最後に奇抜な結論を発して終わるがそれは書かないでおこう。おそらく有名だとは思うが。
角川文庫 少女パレアナ
赤毛のアンとかぶっているように思われるこの小説を読んでみた。やはり合衆国版赤毛のアンと言える
と思う。赤毛のアンと比べると少々独創性に乏しいのではと思えた。
#3200
去る5月27日に#3200に到達した。途中だれたため1年4カ月かかってしまった。
映画コレクション
1000に到達した。これ以上進むとどうにもならなくなるのでスローダウンするのが良いだろう。
あと4年観れば無くなる量だ。
映画 父帰る
これは菊池寛の「父帰る」では勿論無くロシアの映画である。BSプレミアムの録画だがレンタルでも見かけた
ことがあるのでDVDになっているのだろう。
無駄のない構成で良くできている映画だと思う。男の子の鍛え方は間違っていないと思うが、最後にどんでん
返しのような幕切れがある。このような気質がある限りロシアには精強な部隊は作れないのではないか。
5月の庭
Freecellの技法
中段矢倉二連の例。コンプリメンタリーになっているのでどんどん下に伸びてゆく。空きスペース
に矢倉を組む正攻法より二個分スペースを得するので強力な手法になる。
筑摩書房 川端康成集
この短編集に「故郷」という今見た夢をそのまま書いたような小品がある。つげ義春のねじ式顔負けの
破天荒な作品になっている。
死の村をヘリコプターで訪れた作者が昔の人に会って話をするというお話だ。落ちも何もなく話も途中で
途切れているという見事さだ。
この短編集を読むと川端康成氏はいろんな女といろんな所によく出かけている人だなあと感じる。
マーカス・ミラー
アルバム "TUTU"についてのピーター・バラカン氏とウィントン・マルサリス氏の議論を耳にはさんだので
自宅書庫にあるマーカス・ミラーがクレジットされているLPを聴いてみた。
Bob James "Foxy"
Dave Grusin "Mountain Dance"
Bob James , David Sanborn "Double vision"
うまいなあと思った。
沙羅
瀬戸内寂聴は沙羅の木に対する思い入れが強く自分の持仏堂が持てるようになったら菩提樹と沙羅の木
を植えようと想っていたと自著に書いている。
やがて想いが叶い嵯峨野に結庵し、6月になると沙羅の花が開くのを来客に見せることができるようになっ
た。
これは隠遁ではないだろう。
弘文堂 スタートライン臨床心理学
この本文の第8章家族のメンタルヘルスの中にこのような記述があった。
「子の自立後の自主的な歩みの中に、夫婦が育んだものが生きていることが確認でき、子から少しでも
長く生きていてほしいと願われることは、親子の絆の完成した姿であり、・・・」
人生の完成型がこれであるとまさに書いてある。文学はこれを否定するところから出発しているのが通例だが、
最近映画で見たレ・ミゼラブルは例外だった。
ジャン・バルジャンは継子を名家に嫁がせ彼女の幸せを見守りつつ惜しまれて世を去ったので悲劇という
よりはハッピーエンドの物語である。フランス人はよくわかっている。
Green Gablesを空から訪問する。
グーグルアースでGreen Gablesと入れると栃木県に着地する。何だろうと思って調べると赤毛のアンという喫茶店
だった。
プリンスエドワード島まで行ってからGreen
Gablesと入れると確かにキャベンディッシュの方に行く。二箇所それらしい
地名がある。バス停なのだろうか。その近辺を探すが屋根の絵からは判別がつかない。
#3699
ここしばらく月500個のペースで驀進してきたが#3699でぴたっと止まってしまった。これは難問だ。このレベル
だと中段矢倉二連は通用しない。
しばらくプレイしていると変った盤面が出てきた。この盤面からはどうやっても死ぬことができない。
かといって完成させることもできないという奇妙な盤面だ。
有島武郎 或る女
やっと美人が登場した。村上春樹の小説(海辺のカフカ)だと美人は出てこないし、夏目漱石の小説
(それから)だと美人かどうか判然としない。
葉子という主人公だ。冒頭から日本の小説とは思えないような本格的な描写で迫ってくる。
――彼女の立ちすぐれた眉目形は花柳の人たちさえうらやましがらせた。――
これは本当の美人だなと納得させる表現だ。しかし性格は本当に悪い。
#3699
自由な感覚で左と右を均等に開いてゆくとできてしまった。この形は迫力がある。
夏目漱石 それから
平岡の細君はそんなに美人なのだろうか。三千代についてこう書いてある。
――平岡の細君は、色の白い割りに髪の黒い、細面に眉毛の判然映る女である。――
――三千代は美しい線を奇麗に重ねた鮮やかな二重瞼を持ってゐる。――
造りはある程度わかるのだが回りがどう反応するかが書いてないのでインパクトのある美人なのか、
それとも人の目に留まらない地味な女なのかよくわからないのである。
(おわり)