2014年の音楽生活1



  森の中を散歩した。昨年の大晦日の10時ごろだったが。

  このときの散歩でHCA回路のよさを確認できた。単なるバッファよりこんなに音がいいとは。


  MOS FETレプリカバッファのミニアンプ








NHK BS 地球アドベンチャー 冒険者たち  服部文祥

  北極海沿岸のペヴェクから400kmのところにあるエリギギトリン湖までシベリアの低地を山を超えながら陸路で
行く。途中まではトラックとキャタピラー車ヴェズデホードで行くが残りの100kmは徒歩である。

  ツンドラ地帯の秋には草と灌木がありトナカイの遊牧民がキャンプで移動しながら暮している。山を背景とした
乾いた草原、ツンドラ湿原の空撮映像も見れた。

  魚を釣ったりトナカイを仕留めたりして食料を確保しながら湖までたどり着く。冬の始まりまでいたので雪に閉
ざされ北風ががんがん吹く様子も少しだが見れた。辺境萌えにはうれしい映像である。

  褶曲によってできたごつごつしたアドリア海沿岸の道路もいまではグーグルマップで風景として見れる。
あとはパキスタンの沿岸部を見れば人生の目標はほぼ達成する。


向田邦子全集1  思い出トランプ

  崩壊しかかった不全家族の出てくる率が高いような気のする短篇集だ。父親が主体の話では子供から見て
しょぼい上にどす黒い裏も持つというパターンが多く、女が主役の話では例外なくややブスという設定になる。

  第一話 「かわうそ」は定年間近のサラリーマンの宅二が脳溢血で死ぬ話だ。妻がかわうそのような女だった。
夫婦、家族間の話でどうも理解に苦しむような場合当てはめるべき強力な公式がある。愛情のかけらもない女
だからという公式だ。女同士ではすぐわかるらしいのだが男には見えていない。

  この話では妻が同窓会に出たせいで幼い一人娘が病死してしまう。その事実を後から知った宅二は妻をぶん
殴ろうとしたが思いとどまりその思いを墓場まで持っていく。宅二はどれほど思い悩んだであろうか。公式通り
この妻は我が子に対して愛情のかけらもない女だったというだけの話である。

  第二話 「だらだら坂」 中小企業の社長である庄治がトミ子という愛人をマンションに囲う。トミ子は田舎から
出てきた不細工な女である。結局美容整形に手を出してしまったトミ子に嫌気が差したのか庄治の足が遠のいた
ところで話は終わる。

  第三話 「はめ殺し窓」これはちょっと複雑な三代に渡るストーリーである。男には見えていないこと、例えば
女のエロティックな行動を推測によってかろうじて分かるという男の視点と、すべて丸分かりという筆者の視点
からなる小説であると思われる。

  こういう小説が延々と続くわけだが逆に言うと筆者は男の心をあまり分かってはいないように思う。


 DC−DCコンバーターの載せ方をいろいろやっているうちにSITアンプのミニアンプができてしまった。なかなか完成度が
高いのでそのうち作ってみようと思う。

  K79SEPPアンプ


  映画 革命児パセタ

  メキシコ革命を美化したいつもの米映画のような気がするが、結論の持って行き方がユニークだ。民衆が蜂起して独裁
者を倒してもまたそれが独裁をするという無限ループに陥る。これはもはやどうしようもないと達観したパセタは自ら野に下
り民衆にこう教える。自分の土地は自分で守れ、土地を奪われたら逃げてまた種をまけ、殺されたらまた生んで増やせと。

  決して為政者を当てにするなという意味なのだが、要するに近代社会をつくる希望を持ち得ない世界なのか。


  辺境萌え

  パキスタンの沿岸部の地図の様相は奇妙なのである。何度も眺めながら実際どうなっているのだろうといつも思っていたが
最近あることに気がついた。ここは沿岸部なのにほぼ砂漠なのだ。インダス川の河口はデルタだが雨が少ないためにそこから
離れると乾燥地帯になる。カラチの降水量をみるとそのことがわかる。

  オルマラのビーチからカラチに向かってドライブする映像がネットで見られる。道路周辺は乾燥地に灌木という景観で、ヤシの
木が交ることもある。内陸方向は岩山のようになっている。ドバイのビーチと似たような景観らしい。

  カラチは熱帯特有の伝染病もあり、治安がとても悪い都市らしいので行くのはやめにしよう。


  Bipolar Replica bufferアンプ

  これをミニアンプのケースに仕込むことが今年の主な仕事になるだろう。ノンスイッチングアンプ三兄弟を作って楽しみたい。





映画 現金に体を張れ

  競馬場の現金200万ドルを強奪する話だが結構巧妙な手口を考えたなと思う。しかし偶然と詰めの甘さが
元で大失敗に終わる。犯罪者の美人の妻が二人出てくる。大金を手にしてこんな妻と睦まじく暮らせたら幸せだろう
なあと男なら誰しも考えてしまう映画である。女性から見ると感じるものは少ないかもしれない。


向田邦子全集2 あ・うん

  戦前の世相を盛り込みながら東京の中流家族の交流を描いたあまり心温まらない小説だ。何故ならこの小説の
底流には実直な男だけでは満足できないという女の視点が見え隠れしているし、常軌を逸した永吉と門倉の交流が
男の目から見ると不自然に思えるからだ。男の友情にかこつけてプラトニック・ラブを満喫するのは永吉の妻たみである。
このような光景を目の当たりにしたら多感な時期の一人娘さと子はぐれるのが普通ではないだろうか。

  山田太一の早春スケッチブックでもこれと似たようなテーマを扱っている。妊娠した美人の女がカメラマン沢田と別れたあと
実直で小心者の男と結婚し家庭をもつ。ステップファミリーだが仲睦まじくやっている。これも一つの解ではあるが女からすると
不十分かもしれない。カメラマン沢田とおとうさんの資質を兼ね備えた男が最初から現れるのがやはりベストだから。 


 メアリー・ホプキンでアンプをテストする

  最近は車ではエルトン・ジョン家ではメアリー・ホプキンをよく聴いている。プログレなんかを掛けるとイントロが延々と続いた
上にがっかりするような曲がでてくるのに対し、王立アカデミー出身の神童エルトン・ジョンだと開始からほんの数秒で天才を感じ
取ることができるので重宝している。

  家ではヤマハB3とスーパーオデットでメアリー・ホプキンを聴いたりするが、ヘッドホンアンプで聴くと解像度がはるかに上で
あるのに気づいた。ヘッドホンアンプをオーディオライフに取りこむことは意義があることだ。

  メアリー・ホプキンのベストアルバムはいい曲が多く何度も聴き通すのに向いている。甘く繊細な歌声は出力段の差をはっきり
出してくれる。


  HA10miniをオフセット調整可能にして聴いている。


  
VRなしだと30mV位オフセットが出たのでやはり入れた方が運用が楽だ。

  もう毎日これで聴いているが面白い。きらきらと輝くような音で厚みも十分ある。ディスクリートのヘッドホンアンプは
数少ないがその中でもトップクラスのものと思う。


  ミニアンプにできるだろうか。この筐体に収めるにはこのくらいの改変が必要だ。







Zo = 6.3Ω



  映画 アントワン・フィッシャー  きみの帰る場所

   親に捨てられ、養母から虐待をうけた黒人の少年が自立してまともな人生を歩めるのかという永遠のテーマ
が主人公の口から発せられる。海軍に入り上官の分析医のアドバイスで、この実話を元にした映画では主人公
は仕事と恋人を得て、大勢の親類縁者に囲まれてハッピーエンドを迎える。

  ある条件のもとでは答えはイエスだというのがこの映画の言わんとすることだろう。分析医のレベルが高く雇用も
安定している米国はメキシコや日本とは違うのかも知れないが、この結論は永遠に出ないというのが本当のところの
ような気がしている。

  映画は感動的で音楽も格調高いものだと思った。


NHK BS  ロングトレイル紀行  神秘の湖 摩周湖

  中標津町から屈斜路湖までの85kmのトレッキングの様子を風景の映像とともに見せてくれる。エリギギトリン湖
までの超絶トレッキングよりは穏やかなものだが本格トレッキングが日本でも味わえる。

  遥かに望む山脈に向かって平原を行くというのが萌えるトレッキングだ。湿原、草原、森を進み峠を越えて湖に至る
というのが理想的なコース設定だ。途中で文殊と普賢に出くわすかもしれない。

  エリギギトリン湖のときは確かに文珠がいた。


森鴎外  寒山拾得

  寒山拾得縁起と合わせて読むと鴎外の凄さが明らかになる。話そのものは寒山子詩集 序に書いてあることを
元にしたものだが、いろんな意味を含んでいて解釈が難しいらしい。

  普賢や文殊は人の世に紛れて暮らしているらしいがバレると消えてしまうものなのだろう。それはいいのだが
文中で鴎外は違う分野のいわゆる達人を無闇に尊敬することは慎まなくてはならない、いや無意味なことだとも
言っている。

  これはそれに陥りやすい鴎外の自戒の言葉だが、寒山拾得はそれを我が子に伝えようとして書いた話なのだ。
なぜ分かりにくいかというと寒山と拾得を訪ねていった主人公が凄くひどい目に逢っていないからだと思う。鴎外自身
は何度か辛酸を嘗めたのかもしれない。


  映画 メラニーは行く

 家庭を飛び出した南部出身の女メラニーがニューヨークで成功し、名門の御曹司と婚約、あわや成婚というところ
まで行くが結局ドタバタして終わる話。ラブコメ風のギャグの応酬だがしんみりしたところも交えるという映画だ。

  レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語という映画では不条理なギャグが続けざまに出てくるが全部予定調和的に
解決する。ディズニー映画かと思ったが違うようだ。

  不条理なギャグが変な結果をもたらすなら安部公房の世界になるのだがアメリカ映画にはそういうのは無い。イギリス映画
にはあるかもしれない。


  立花隆選の100冊

 物質、生命、地球、宇宙、心、体、死、人類、歴史、宗教、哲学、政治、共産主義思想、数学、文学、SF
というジャンルの参考になる書籍100冊が推薦されている。こういうリベラルアーツを学ぶ場所はかつては
大学の教養学部だったが改組などにより1990年代にはほぼ消滅した。今の人はどうやってリベラルアーツ
的な教養を得てゆくのだろう。まあこういう本を自分で読めばよいのかもしれない。

  このなかでさすがと思われたのは46番 柴山全慶 無門関講話だ。山頭火が堂守をしているとき与えられて
いたテキストが無門関だけだったという記述が山頭火文庫の別巻にある。恥ずかしながら私はこのとき初めて
その存在を知ったのである。

  この100選で欠落していると思われるジャンルがある。文明、幸福論、女性論なのだがこの際私が推薦しておこう。

文明    筑摩世界文学大系1 古代オリエント集
      
幸福論  アルボムッレ・スマナサーラ 著 気付いたら・・・もう「幸福」になっていた!

女性論  森鴎外 雁


安部公房  方舟さくら丸 (1984)

 (1〜5) 主人公(船長)の計画が明かされ、地方都市のデパートから方舟のある海岸までスカウトしたユープケッチャ売りの
男とドライブする。

  小説ではあるが安部公房の車に乗せられこれから彼の別荘に向かうときのような雰囲気がある。かれの私生活
もそれとなく明かされている。

  例えば国土地理院の航空写真で家に居ながら旅をするのが彼の趣味という。4WDのジープで走り回るのも好き
なようだ。今の日本にはハイビジョンでみる空撮映像もグーグルマップもあるしGTA5さえあるからほとんど旅をしない
でも見たいという欲求や気分は満たせるようになってしまった。生きていれば彼もきっと驚くのではないか。

(6〜10)  いよいよ方舟内部に入る。謎のカップルが合流し男が3人女が一人になる。内部の様子がだんだん明ら
かになる。女が美人なので微妙な駆け引きが生じる。船長は立場を利用してなんとか女と二人きりになろうとするが
なかなか思うに任せない。そうしているうちに男の一人が方舟の心臓部に侵入してしまう。

  ここまでの話を振り返ってみるとトーチカ願望とあゆの友釣りというキーワードが書いてあってそれに集約されている。
主人公は生い立ちまで作りこまれていて少しずつ明かされてゆく。ブタかもぐらのようなルックスの主人公はもとより女に
もてるはずはないのだが、連れてきた女をなんとかものにしたいという願望がある。男たちの間で生ずる駆け引きと女の
態度が重大な関心事なのである。

(11〜15) さくらという男が帰ってくる。はじめての夕食を囲みながらビールがふるまわれる。このへんの描写から
安部公房がビール好きであることが想像できる。さくらの証言から方舟を脅かすほうき隊の存在が示唆される。いよいよ
メンバーたちにこの方舟が核戦争に備えたシェルターであることが明かされる。

  ここまで読んでこれは大人のひょっこりひょうたん島だなあと理解する。

(16〜20) 船長の父親である猪突と死体をめぐり交渉することになるが、渉外担当の二人が外に出ている間に船内で
事故が起こる。船長の片足がトイレの管にはまり込んだのである。これは予想外だ。ホラーになってしまった。

  さて問題の死体はこれも予想外に猪突であった。有るはずの死体が消えて自分がその死体になるというロジック
がシュールだ。有るはずの歪みがロジックで無かったことになるZDRの原理に通じるものが有るのではないだろうか。

(20〜25) ほうき隊のほかにルート猪鍋という珍走団のようなグループも話に噛んでくるが女子中学生狩りのような
話も加わっていよいよ方舟内は混とんとしてくる。ここで船長は起爆装置を作動させ方舟を外界と遮断する。方舟発進で
ある。この作用で水圧が変り船長はトイレからの脱出に成功する。外では核戦争が勃発したと周りにはアナウンスするが
嘘であることを女とさくらには話す。合同庁舎に抜ける道を教えて三人で出ようとするが、船長以外は方舟に残る選択を
する。船長は一人外界に出て外の光を浴びる。(完)

  結局ホラーではなくハッピーエンドになったが、方舟は安部公房スタジオの暗喩であり、自ら爆破して女優のYとともに
新しい世界に脱出したことを暗示している小説だと今となっては解釈することができる。個性の強い昆虫屋とさくらは男優の
誰かがモデルなのだろう。



  最近一つの結論に達した。この世は手付かずの原野と文明的な知識の二元論で出来ていて大体それで説明がつく。

  人間は原野を行くとき始源的な喜びを感じる。しかし喜びだけではなく大いなる苦痛も伴う。それをなんとかしようとした
のが膨大な文明的知識なのだ。音楽プレーヤーも直列6気筒エンジンも長い時間、長い距離をなんとかするために案出された
産物なのだ。人口が増えることによってさらに必要になってくるものもある。宗教とか国家とか戦争とかああいうものである。

  Imagine there`s no heavenという歌も人口が激減すればそうなるかもという話だ。
 
  我々はいきなり文明的な安楽の世界に生まれてくるので、ときどき見えてくる自然に魅惑されつつも文明的な物に埋もれて
行くしかなくある程度生きて初めてそのからくりに気づくのである。


映画  悪魔の発明

  チェコ・スロバキア(当時)の鬼才カレル・ゼマン制作の実写風アニメ。ジュール・ベルヌの世界が描かれている。細密画が
動いているのを見るのは軽いショックを受けるし人間がミニチュアのように見えるのも面白い。

  新兵器を発明して世界征服を企てるというのは19世紀の発想だろうか。しかし20世紀にはそれに近いことが起こって
いる。


三島由紀夫 鹿鳴館

  文学座のために書いた4幕ものの浪漫劇。意外とサッと読めた。才気あふれる作品だが幸福への道などは示しては
おらずただただグロテスクな上流階級の人たちの生き方が描写されている。朝子という美しい伯爵夫人の物語かと思うと
そうではなく若く美しい男性である久雄がテロリストとして運命に弄ばれ死んでゆくほうに力点が置かれている。三島の
死生観がセリフになって出てくるのも興味深い。


映画 フラッシュダンス

  バレリーナを目指す主人公が溶接の仕事をする映像が出てくるがなかなかシュールな破壊力がある。気になる点は
一点で果たして主人公は選考テストに合格したのかどうかだ。当時観た時はははんこれは結局落ちたんだなと醒めた目で
裏読みした記憶がある。今回改めて見てどうなのか確認したのだがどちらとも取れる編集だ。明示はせず暗示のみなので
想像するしかないのである。恋人が花束を持ってポルシェで迎えに来るという結末は合格のハッピーエンドを暗示するが
この二人は不合格でも明るくデートに出かけるだろうという気もするのである。


  今日はいい映像が見れた。一つ目はスイートナー指揮N響のベートーベン交響曲第6番。第一楽章が終わると指揮者
は疲れたのかにっこり笑って休憩したのち第二楽章に入る。きれいに鳴らしながら表情をつける程度の演奏だった。
徳永二男氏が第一バイオリンを弾いていた。ガルネリデルジェスだろうか。男性はみんな礼服と白ネクタイだ。女性は目立たぬ
格好で二人位しかいなかった。

  次はノイマン指揮N響のドボルザーク交響曲第8番。1986年11月7日の演奏とある。ノイマンの指揮は速度が適切
で、響きもよく金管の入り方リタルダンドとための長さ、全て私の好みに一致する。8mmビデオのエアチェックコレクション
だが録っておいて良かった。


映画 アン・ハサウェイ 裸の天使

  最初の方はいやーな雰囲気を醸していて見るのが苦痛だったがだんだん見慣れてくる。女の行動がピンと来ないのだ。
この場合執拗にダウンタウンに行きたがる主人公の行動が出てくるが、ちゃんと伏線として主人公の彼氏がピストルで
脅されておしっこを漏らした場面があるのでわかりやすい。強い男の方を選ぶメスの本能みたいなものか。

  事件は急展開するが結局冤罪成立の手前で主人公が友人の嘘を暴く。見ている方はちょっとだけスッキリする。ここがキー
ポイントである。

  映画 SAYURIは京都の芸妓の世界を描いた異国風の作品だがこの中にも嘘を暴く場面がある。主人公が泥棒呼ばわり
されまたムチで打たれるのと思った瞬間先輩芸妓の嘘が暴かれそっちが制裁される。

  正義とは何か?それを教えようという番組があるけど正義なんか嘘の反対くらいでしか現れてはこない幻のようなものと思う。
本音対本音、嘘対嘘だとどうやって正義を決められるのか。ほとんどの場合は決められない。


映画  ダークナイト  (直訳すると暗黒の騎士)

  この映画がそのいい例だ。正義の味方のはずのバットマンのニセモノが現れ自警活動を行うが迷惑した市民からは
本物のバットマンを逮捕せよという声が上がる。悪は悪のほうでとても洗練され哲学的段階に達してしまった。このめまい
がするような主客転倒とアクション映画の組む合わせはユニークで新しい。

  ヒロインも若き検事とバットマンとの二股をかけているし、警察とマフィアの癒着も普通にあるが主題ではない。暗黒と光の
対比では暗黒が勝ったように見える不思議な映画だった。


映画 ブダペスト市街戦1956 ソビエト軍侵攻

  ブダペスト郊外に住む若者が武装化してソ連軍と戦う話。学生デモから始まった大規模なデモによりハンガリー人は独裁的
な現政権を倒すのに成功したが、ソ連は再び侵攻して首謀者を処刑、戦闘でも何人かやられた。

  若者が武装蜂起して革命に参加するというストーリーは連合赤軍のそれとかぶるがこちらは陰湿な部分は少なく、若者たちの
マジャール グラフィティのような味わいもある。さすがにヨーロッパ人は慣れたものだ。

  ソ連が解放の名目で工場や土地を奪い秘密警察による監視社会を作ったというメッセージも盛り込まれているし、いろんな要素が
バランスよく描かれていると思う。


映画 アメリカの影

  都会に住むミュージシャンの兄、無職の弟、美人の妹が生活し、ささいな事件を引き起こしつつ尻切れトンボで終わる映画
だ。いろんな映画にちょっとづつ似ているがこれといったテーマがないという印象がある。最後の解説でこれは即興で撮られた
映画であると明かされる。白黒なので古いイタリア映画のような味わいもある。


映画  めまい  アパートの鍵貸します  サイコ

  有名だがまだ見ずにいた映画をやっと見れた。めまいは高所恐怖症を使ったトリックが題名の由来になっている。サンフラン
シスコの街をぐるぐる車で移動する場面が印象的だった。

  アパートの鍵貸しますはラブコメディーだった。主人公の相手は相当な美人だが上司と不倫していたわけでハッピーエンドの
結末には違和感がある。当時のアメリカでは不倫は普通の事なのだろうか。

  サイコはヒッチコック監督の古典とも言える映画。音楽が素晴しく象徴的なカメラワークが監督らしい。猟奇殺人の犯人が
解離性障害だったというのが題名の由来のようだ。


安部公房  飢餓同盟

  ある町に赴任してきた医師Mがいつまで経っても待機状態という冒頭の出だしはカフカの城のようだが主人公は
少ししっぽの生えているらしい花井という人物である。父の代に一家でこの地にやってきたよそ者の花井は町の現状に
不満を持ち、よそ者たちを組織して町の乗っ取りを企てる。その手法がSFっぽいのだが、道具立ては宮沢賢治風なところ
もある。町を牛耳っているのは圧倒的な力を持つ俗物で、その優れた行政手腕により飢餓同盟は空中分解し主人公は
医師Mの手によって精神病院に送られるという話である。暗喩として見れば地方の村の異民族による乗っ取りを思わせる
怖い話にも見えるのだが、本話はどうやら単なる空想家の自爆みたいな話のようだ。

(つづく)