竜骨バッファの発振

 あの竜骨バッファを作ってみようと思った。こういうなりゆきは想像もしていなかった
が、ある日「竜骨バッファの発振」という言葉が頭に浮かんだというただそれだけのこ
とだ。

 竜骨バッファを堂々と発振させてみよう。基板が真っ黒けになるのか、それともスピー
カーがスピーカーの姿をした単なるオブジェになるのか。いやもしかすると、妙なる音楽
が奏でられることもありうるのではないのか。

  竜骨バッファとは、シリコントランジスタのエミッタフォロアがえんえんと連なった、まる
で意味のない奇妙な回路である。それはコルビッツ発振回路の亡霊が設計者の夢に出
てくるように、現実に現れた鬼門のような回路なのだ。

 さて、その設計図はどこにあっただろうか。探してみると回路設計ノートVol.8にそれは
あった。

 考えてみると、こんな回路は単にトランジスタをつなげただけのものだから回路図を探
さなくとも、書いてしまえば良いのだと思いながら、見てみるとNPNトランジスタが5個、
PNPトランジスタが5個交互につながったもののようである。予想される周波数特性と位
相特性の図まである。周波数特性の200kHzにピークがあり、そのピークのつぶし方ま
でシミュレーターで検討してあるのだ。そのころはそんなに暇だったのか。

  これがその回路である。





  が、そのまえに朝食を食べなければいけない。

 朝食は、白米、お味噌汁、皮なしウインナー、納豆、牛乳といった和食風のものである。

 ご飯は塩気があるものと食べればおいしくいただけると誰かが言っていたが、まさにこ
のウインナーはあっさりした塩味で、ご飯には合う。もしこれが名のとおり本物のVienna風
ソーセージであったなら、毎日の食卓には上らないであろう。

  などとくだらないことを考えつつ朝食は終了する。

  この朝食はいったい誰が用意するのかと思っている人がいるかもしれない。それは母
なのか、妻なのか、愛人なのか、それともピノコのような助手なのか想像をいくらでも逞し
くすることができる。

   残念ながら答えは2である。

 残念というのは、語弊があったかもしれないが、それは単に小説としては面白みがなかっ
たかなという意味合いである。他意はないのである。

   ご飯を食べ終わると子供が待っていた。

 


  次の朝起きぬけに考えたこと。

  電磁制動は破綻するものだという教えをどのくらいの人が理解しているのだろうか。あの
アキュフェーズのパワーアンプにずらりとならんだパワートランジスタ群を見て、誰もなにも感
じないのだろうか。

  明らかにあれは世にあるどんなハイエンドスピーカーに対してでも電磁制動をかけてみせ
るという決意のようなものに違いないが、本当にそれで大丈夫なのだろうか。

  電磁制動アンプは一般にはNFBのかかった電圧制御アンプのことである。つまりアンプの
出力の電圧をNFB制御しているのであるから、その電圧については何が起ころうと機器に余
裕のある限り正確である。

  しかしそれはパッシブな電磁制動の極限ではあっても、その動作はアクティブな速度制御を
超えることはできないのである。

  磁気回路を強力にしてQeを小さくしたスピーカーは、コーンに生じるfo共振を電磁制動によっ
てよく抑制する。それはアンプがスピーカーに電圧を送り動けと命令していないときは、自分の
ブレーキによって速やかに停止するしくみである。

  

  たとえばブレーキが弱いスピーカーではこのように波形はすぐには収束しないが、



  このように電磁制動がかかると、すみやかに収束するのである。

 しかしその収束のさせ方は、アンプが出力する信号電圧をゼロにして、あとはひたすら
磁気回路のもつブレーキに頼って振動を止めようとしているに過ぎない。

  もし貧弱なアンプを使っているとすると、このときに信号電圧はゼロに保たれている保障
はない。スピーカーから流れてくる電流によって、出力端子に電圧が発生してしまうからだ。

  以上は理想的に電磁制動がかかったときの話である。現実の世界ではスピーカーはも
っと凶暴な存在であり、アンプは頼りないものだと考えたほうが良い。

    ***************************************************************************************

    昔誰かがこう言っていた。「アンプはスピーカーに動けと命令することはできるが、止ま
れと命ずることはできない。」

  その考え方は自動車の動作に通ずるものがあり興味深いのだが、電気の世界では一応
それに反する例が存在する。

  それはアクティブな速度制御という考え方である。

   加速は能動、減速は受動・・・という先ほど述べた仕組みに対して、

   加速は能動、減速も能動・・・というしくみももちろん存在する。それは速度型MFBである。

  それは先ほどのバースト波による解析を詳しくみてゆくと証明できるのである。

  アンプの出力電圧を見ると、電磁制動アンプでは入力信号どうりに動いているが、MFBが
かかっていると、アンプの出力に振動を止めようとする逆の電圧が発生しているのが観察され
る。

  アンプの駆動能力を制動能力としても使えるので、小さいアンプでも恐るべき制動力を秘
めたアンプが作れる可能性がある。

   電磁制動アンプの最大の弱点は何であろうか。

  それは、立ち上がり速度が制限されることである。

  電磁制動は速度制御なので、ボイスコイルを速く動かそうとしても速度に制限がかかるの
である。したがって どんなに立ち上がりの早い信号が入力されても、出力はゆっくり立ち上
がる。

  この欠点を解決するアンプが電流出力アンプであり、どんな速度でも立ち上がり、立ち下
がる。それはアンプ
の元々の能力をそのまま使えるということだ。

  が、それをそのままやってしまうと、電磁制動が無いスピーカー駆動になり、foにおける激
しい共振により、スピーカー
は破壊される。

  私はそれが嫌なので、電流出力アンプは一度も試したことは無い。

  最近思ったのは、ある程度Qの大きいユニットで速度MFBをかければ、アンプが電磁制動
型でも入力信号に応じて、速度もコントロールされるだろうということである。

  MFBがアンプによる制限速度を越えさせてくれるのを期待しているのである。

  以上を文章にまとめて、インターネットのホームページに書き込んでおく。

  そのアドレスは、

    http://member.nifty.ne.jp/MUTSU/index.htm

  といったものだが、この小説を誰かが目にするかもしれない西暦2100年くらいにはもう
無くなっているはずである。

  


  事件が多い。

  しかしその詳細をくわしくみてゆくと、何が悪いのかがはっきりしない。みな起こるべくして
起こったものだ。

  単純な事柄は、法律を整備することである程度コントロール可能だが、納得のいくような
法律はまだ見たことがない。

  研究が多い。

  しかしその詳細をくわしくみてゆくと、何が書いてあるのかがよくわからない。みな書かざ
るをえないから書いたものなのだろう。

  単純な事柄は、じっくり研究すればある程度解明できると思われるが、納得のいくような
論文はまだ見たことがない。

  と新聞を見つつぼんやり考えている。

 確かに新聞を毎日詳しく読むのは考え物である。重要なのは新聞に全く書かれないことと、
義務的に書かれながら浮かんでは消える大きな流れの一部である。あとになってそれらをつ
ないで見てわかることがある。

  文学的テーマは過激なものだ。殺人者はひとでなしである・・・とかは、だれでも日常的に
考えていることだ。社会生活を送る上では決して口にしてはいけないこと、それが文学として
成り立つ条件である。

  それはこの小編には書かれていない。



  竜骨バッファの部品はどうしよう。

  10Kのカーボン抵抗は1個1円である。東芝の2SC1815は一個10円である。計算する
と111円となり縁起がいい。吉兆をもたらす竜なのか。そうだもしこの竜が完成したら、辰巳
の方角に飾っておくのがよいだろう。

  とにかく発振を確認したら魔よけとして使うことができそうである。変な電磁波が入ってき
たら、自ら発振してエネルギーをアースに落としてくれるのではないだろうか。気は電磁波な
のである。

  100年後には鉛入り半田はないかもしれないが、今はまだ半田付けの時代である。鉛中毒
になると、尿中にδ-アミノレブリン酸がでてくるという。半田づけ程度では摂取量としては少ない
のか、いまだに私の尿にはδ-アミノレブリン酸は出ていない。もっと詳しく知りたい人はメルク
マニュアルの日本語版を読むと良いだろう。

  部品もあることだし、あせることはない。ゆっくり音楽でも聴いていよう。

  CD棚から、デイブグルーシンのNight Linesを取り出す。あるときグルーシンがガーシュイン
のアルバムを出したとき、今回のCDには驚くべきアレンジが使われているとインタビューで言
っていたが、このNight Linesこそ驚くべきアレンジが散見される傑作アルバムなのである。

  ああ、どっちみち所有しているCDや音楽テープを、ましてや世の中の音楽を全部聴くことは、
一生かかってもできやしない。そう思ってからは自分のライブラリーから聴きたいと思う音楽だけ、
貴重な時間を使って聴くようにしている。自分の手が伸びなかったCDは、そのまま聴かれずに
処分されるわけだが、そんなことはかまいやしない。

  昔集めた現代音楽のライブラリーは、自分がどんな音楽を書いているのか位置づけるため
のものだった。確かに新しい書法のひとつを発見していた。偶然性を伴う森の夜明け(1989)は
、ベートーベンのようにあらかじめ書いた楽想スケッチをもとに構成された曲だが、ひとつの旋律
が一オクターブを超えて展開するという書法が使われている。

  やはりというか、現代音楽のディスクには全く手が伸びない。

  昨日まではFF85Kで聴いていたが、FE103Eにしてみる。やっぱりこれのほうが良い。  (了)

                                                    2003.8.
                                                    作 片貝 直人




































































































































































(つづく)