2015年の音楽生活3



  この石が手に入ったからにはSITアンプの100W級を手がけざるを得ないだろう。耐圧
600V、最大定格20A、最大ドレイン損失300WとなかなかいいのだがカットオフするVgsが
30Vもありそうだ。バイアスを作るのにMOS FETを合計40個以上投入するのかと考えて先が
思いやられる。


映画 まぼろしの邪馬台国 (2009)

決して人格者ではないが島原鉄道社長の宮崎康平は人を惹きつける魅力がある。観光バスの
経営も手がけ会社を引っ張るが風水害がきっかけで取締役を解任される。退任後は蒐集した
本を研究し邪馬台国の秘密を探ることに情熱を燃やす。だが康平は盲目であり生活には誰かの
助けが必要だった。見捨てずに残ってくれた美人放送劇団員の和子が子育てと研究補助をする
ことになる。

魏志倭人伝を何度もテープレコーダーで聴き九州各地を踏査研究する日々が続く。やがて一冊
の本を上梓するがアマチュアとしては画期的な研究として脚光を浴びた。強運の男だ。或る
小倉日記伝の耕作といい九州の人々の懐の深さが感じられる。ある種超然とした生き様だ。

映画は豪華キャストだが押し付けがましいところがなく美しい九州の自然が写し撮られてお
りとてもいいと思った。


映画 男はつらいよ 純情編 (1971)

枕の寸劇は至ってシンプル。寅次郎が夜汽車に乗り相向かいの母子を見つめ妹のことを
思い出す。そこで呟くのが「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という有名なフレーズだ。
寺山修司かと思っていたが調べてみると室生犀星だった。缶ピールを開けると泡が吹き出し
隣の中年男性の顔にかかりドタバタする。

今回は柴又に帰ってくるところからではなく道中から始まる。駅前の旅館で若い女性と
同宿する。宿代がなくて困っっているところを寅が出してやったのだ。この流れは夏目漱石
の三四郎の状況を取り入れたものだろう。

駆け落ち同然に出て行った娘が赤子を連れて実家に帰ってくる。初老の父親(森繁久弥)は
言葉を失うが娘と寅次郎を交互に見てさらに言葉を失う演技は表情だけで爆笑ものだ。その後
の娘に諄々と説教するところは非常に説得力がある。寅次郎との会話も味がある。アドリブも
入っているかも知れない。これは映画史上空前のコラボを見た思いがする。

里心が付いた寅次郎は飛ぶように東京に帰ってきたが皆んな怪訝な顔で迎える。実は二階に
は美人の親戚(若尾文子)が間借りしているのだった。事情を知らない寅次郎は被害妄想と
言われたりして不条理劇の様相を少し見せたが、結局啖呵を切った舌の根が乾かぬうちにまた
居座ることを決めるといういつもの展開になった。

今回のマドンナは貧乏作家の妻が家出をしているという設定だったが寅次郎が勘違いする
ほどやさしく接した訳ではない。最後は遠回しにお断りを入れるのだが寅次郎は自分の事と
は気付かずトンチンカンな行動を取る。今回は夫が迎えに来て終焉を迎えた。


映画 アントキノイノチ (2011)

登場人物は皆前向きだが少しづつ病んでいると云うのは山田太一のドラマの手法だが、
この映画の場合は登場人物の二人は深く病んでいて社会に適合できるかできないかの境目に
いる。

まず主人公の高校でいじめのトラブルから友人がみんなの前で自殺した。そのあと山岳部
で何かと主人公をいじめていたクラスメートが蟻の門渡りで滑落しかかるのを助ける。その
ことに関して嘘を言いふらされるが我慢していた主人公はとうとう学園祭でブチ切れ高校を
中退し遺品整理業の会社で働く事になる。そこでは親切な上司に恵まれ何とか仕事をこなして
行くが、同僚の女性もレイプされた過去がありいつフラッシュバックが来てもおかしくない
状況だ。

彼女と主人公は惹かれ合うところがあり、交流して若者らしく発散する場面もあったが
やがて彼女は仕事を辞めて音信不通になる。主人公は居場所を突き止め老人施設で働く彼女に
会いに行くが拒絶される。だがそこでたまたま亡くなった老女の遺品整理をすることになり
その仕事ぶりに今まで怒りまくっていた夫も感動して号泣する。主人公の生き方を見て彼女も
立ち直れそうな気持ちになれたがやはり現実は厳しく自殺してしまった。

音楽と映像の組み合わせには芸術のセンスも感じられるし題材、ストーリーからすると
これは日本映画の名作と思う。


映画  クオヴァディス (1951)

この有名な言葉は使徒ペテロがイエスに発したものでその時のイエスの返事がまた
奮っている。この作品はキリスト教徒の間ではよく知られているこのエピソードを映画にして
一般の人々に見せようというものだ。ローマ帝国第五代皇帝ネロ、セネカ、ペテロ、イエス
キリストが背景として登場するがハリウッド映画らしく軍団長と美人奴隷のロマンス仕立て
になっていてセリフも陳腐である。反キリスト者ネロという字幕を見たときは驚いた。彼が
反キリスト者なら真の反キリスト者とは誰になるのだろう。

アッピア街道を凱旋帰国した軍団長ビニキウスは今はローマの人質になっているリディアの
王女にモーションをかけるがうまく行かない。一方パウロの教唆によりリディアはビニキウス
をキリスト教に入信させようと目論んでいる。そうすれば布教の範囲が一気に拡がる。

ネロの芸術志向とローマの破壊、キリスト教徒の弾圧を劇に仕立てて、軍団長とキリスト
教徒を善人に描いているのはやっぱり鼻についた。


NHKドラマ だから荒野 (2015)

7年毎の記録 46歳になりました風に記述するとこうなる。

森村朋美 二男とサラリーマンの夫を持つ専業主婦。夫は手取り50万で20万生活費を入れて
いる。屋上を持つマンションに住み、車はニッサンのエクストレイルで主に主人公が運転
する。車で10分の所に感じの悪い姑がいて電話攻撃をして来る。大学生の長男は要領がよく
彼女もいるが問題なのは引きこもりの次男である。母親に死ねなどと暴言を浴びせてくる。
夫はゴルフに夢中で浮気もしているようだ。

これを一体どう見るかであるが女性特有のしぶとさは出ていると思う。何とかでき婚で
主婦の座に就き子育ても大体成し遂げた。夫のせいで不幸を感じるならばイギリス56歳に
なりましたのスーのように仕事を見つけて子供を引き取ればいいだけである。

第一回目では誕生日の外食の場で静かに切れた朋美は車に乗って衝動的な家出をする。
福岡で独身生活を送っている旧友の所へと向かう。


NHKドラマ だから荒野

福岡への道中長崎原爆の語り部の老人ととその弟子と一緒になる。それまでが車を盗まれ
たりと修羅場だっただけにやっと一息つく。お茶を飲みながら家出した理由をポツポツと亀田
青年に話すのだがその夜、夜這いされそうになる。次の朝青年は姿を消し主人公の運転で老人
と長崎まで行くことになる。老人を家まで送り届けた朋美はビジネスホテルに一泊し次の朝
グラバー邸で友人の知佐子と合流する。朋美は離婚し自立してゆく道を模索しようとするが
知佐子はあまり勧めてこない。

ネットカフェで次男のブログを閲覧するとチャットで楽しそうに話す次男がいた。そこを
根城にして食堂で働く朋美だがハードで 音を上げそうだ。


映画 男はつらいよ 奮闘篇 (1971)

シリーズ第7作。枕の寸劇はドキュメンタリーだった。北海道の鄙びた駅で集団就職の学生
に寅次郎が話しかける。子供達の境遇に同情した寅次郎は一人で盛り上がってヘマをした。

ちょっと異色といえばそうかもしれない。本編にドタバタが多くセリフに深みがない。
皆んなムキになって言い合う場面が多いが少々下品な表現がある。いつものパターンを
総動員してつないで行っているが全く違うような映画に見える。

結婚を夢見て少々浮かれ気味に商売をする寅次郎。仕事を終えて帰ってくると少女は先生に
連れられて青森に帰った後だった。花子は何処だと裏庭に駆け出す寅次郎。桜がハラハラと
花びらを散らしていた。皆んな仮面のような表情をしている。寅次郎の心の叫びが表現される
。この不条理劇がクライマックスでここからは普通の男はつらいよになった様に思う。

最初の方の違和感は寅次郎の心の崩壊の予兆が映し出した心象風景とするとかなり凄い映画
という事になる。


NHKドラマ だから荒野

朋美は結局老人の世話をする代わりに家に居させてもらう事になる。老人は毎日原爆記念館
で語り部として奉仕活動をするが若者には気味悪がられ関係者にも毎日来ないで欲しいと思わ
れている。朋美が夕食に春雨サラダと焼き魚を作り老人に食べさせる。若い美人が身の回りの
世話をしてくれる夢のような状況だ。しかしこれはなるべくしてなったのでは無く運命のいた
ずらに過ぎない。

次男のユウタは祖母から5万円借りて家出を決行する。高速バスで九州へと向かう。亀田と
いう青年は何か後ろ暗いものが有りそうだ。

ここまで登場人物は悪いのかと思えばそうでも無いという感じで微妙なバランスで物語が
進行する。


NHKドラマ だから荒野

家出したユウタが合流し老人宅に疑似家族が出現する。老人、亀田青年、朋美、ユウタが
仲良く夕食の食卓を囲む。翌日80歳を迎える老人のためにささやかな誕生会が催され老人は
感想を述べる。亀田青年は老人を支える姿勢を示す。

老人は池島にユウタを連れて行く。廃墟の風景だ。朋美は市場食堂をクビになりスナックに
勤め始める。就活中の長男は彼女と同棲すると言って家を出て行く。長男はこの中で一番
身勝手で冷酷な感じに描かれているが単なる条件設定的背景として出ているだけなのか。


映画 苦役列車 (2012)

芝浦での日雇い労働の一日が終わり貫多は夕飯を食った後古本屋を覗き店員の女を
見る。まあこれだけでこの話の全てかなと云う気もするが。正二は九州から出てきたばかり
の専門学校生で比較的まともだ。貫多の方は中卒の19歳という設定になっているがその
実像は作者の他の著書に描かれている通りどうしようもない人物だ。二人は友達になり風俗に
行ったり女の子とボーリングをしたりと一応青春映画として作ってある。そのため貫多のドス
黒さはかなり減じられて描かれている。

正二の方は女子学生と合コンも有るようになるし既に彼女も出来ていると言う。貫多の方は
昔付き合った女を練習台にしたと言いながらいい女を狙い続けるのだが結局風俗でしか性欲を
解消できないでいる。貫多はだんだん暴言を吐いたりストーカー化したりして友達を失う。
仕事も身が入らなくなり人足もクビになるけどこれこそ貫多の本当の姿と思う。

3年後貫多は革ジャン長髪のスタイルになって古本屋に出没している。金を無心したり、鶯谷
の酒場でヤクザに絡まれたりと荒んだ生活をしているようだ。ボコボコにされた貫多は裸にな
り海に向って走り出す。そこで友達の幻影を見てワープして終わる。最後に小説を書く姿が出
て締めくくる。

列車は無かった。夏目漱石の坑夫のようなのを想像していたがバスしか出てこなかった。


映画 わたし出すわ (2009)

山吹摩耶、東京から函館に帰郷し古い友人たちに会う。皆んな気がいい友達でその中に
お金が無限大にある摩耶が加わるとどうなるのだろうか。友人に会い願望を聞き出しては
お金を提供しようとする。普通に考えると大金は人のドス黒い心を引き出すことになり
かえって不幸になるはず。

路面電車の運転士の友人には各国の路面電車の視察旅行費を、女友達には小型冷蔵庫その
夫には箱庭協会の会長になる権利を、アスリートの友人には手術費を、研究者には研究費を
提供する。

後半になるとだんだん喪黒福造の様相を呈してきた。金に目が眩んだ運転士の妻はホスト
遊びに目覚める。5キロの金塊を落ちぶれた友人に渡すと友人はお金に変えてホステスを始め
る。すると支社長と名乗る男に騙されて山で殺される。堕ちたのはこれで二人。

研究者は研究を諦めお金を返すことにした。退却を考えたのは偉い。運転士は自分のお金で
視察旅行に旅立った。母親は函館の病院の特別室で眠り続けていたが最後は目覚めて話し始
めた。色々複雑であり善行と奇跡の物語というわけでもなさそうだ。





一月下旬には水仙の第一陣が咲くがこれは第二陣。


映画 人生万歳 (2009)

ボリス  大学で量子力学を教えていたが引退しニューヨークのアパートで悠々自適の
生活を送る。ノーベル賞は逃したが天才を自認している。妻とは離婚しており街で子供に
チェスを教えたり引退した仲間とおしゃべりして暮らしている。状況を皮肉を込めながら
分析しマシンガンのように話す偏屈な老人である。

そこへある日若いブロンドの美人が宿を借りに来て居つくことになる。ボリスは頭脳明晰
なので女性には興味がなくメロディーの若い肢体を見ても何とも思わない。仕事を見つけて
早く出て行くことを望んでいる。そのうちにメロディーの方がボリスを好きになり勝手に妻に
なってしまう。

という話だがこの後は至ってつまらない予定調和的ハッピーエンドになるので省略する。
結局ボリスは毎日酒を飲むし学識が有りながら学術書は持っていないのでハイヤーム的な老人
だ。おしゃべりなのと刺激の多いニューヨークに住んでるところが変わっている点だ。


映画 豚と軍艦 (1961)

横須賀の繁華街に巣食うヤクザの生態がわりとリアルに描かれる。ヤクザが副業として
米軍の残飯を使った養豚場を始める。金太はヤクザの三下で恋人もいるがどんどん悪の道に
入って行く。養豚場は間も無く潰れるし兄貴は胃がんで余命いくばくもない。若い娘は米兵
のオンリーさんになることで4万円のお手当てがもらえる。金太は実入りが少ない堅気の
仕事は嫌だという。この本音をぶつけ合うカオスなストーリー構成は日本のヌーベルバーグ
なのだろうか。結局口利きの日系二世の男が一番の悪者で金をせしめて帰国した。音楽担当は
黛敏郎だった。


男はつらいよ 寅次郎恋歌 (1971)

枕の寸劇は大衆演劇一座の看板女優が寅次郎を雨の中を木賃宿まで傘をさして送るという
情景だ。一座は客の入りが悪く経営が苦しい。女優の健気に頑張る姿に寅次郎は別れ際に
言葉をかけチップをはずむ。一人いい気になる寅次郎だが間違えて5千円札を渡してしまう。
木賃宿10泊分だ。

本編は前作と打って変わってセリフに抑制が効いていて奥行きがあり人の細やかな情感が
よく出ている。ひろしの母が危篤になりひろしは高梁の実家にさくらと訪れる。死に目には
会えなかったが親戚と再会する。葬儀の日神出鬼没の寅次郎が焼香に現れる。寅次郎の周り
のことを考えない行動にさくらは恥ずかしい思いをする。寅次郎は頭悪いけどアスペルガー
だったようだ。

一人暮らしになったひろしの父の元にしばらく逗留させてもらった寅次郎は酒を飲まして
もらいながらある重要なアドバイスをされる。人間の本当の生活とは?の答えだ。寅次郎は
感じ入って東京に帰る。所帯を持とうと決意したのか。

東京に帰ると美人の未亡人が現れてまた不条理劇が展開することになる。寅次郎の知らない
ところで皆んなが寅次郎を未亡人に近づけないように画策したり寅次郎がその異変に感づい
たりと腹芸のようなものが展開するが最後はいつもの筋書き通りになる。寅次郎は夢破れて
淋しく夜の門前町を出て行くが今回は呼び止めてくれる妹がいる。

これまで寅次郎のことを斜に構えた人物と見ていたが面白い子供の遊びに長けた人懐こい
人物像が浮かんできた。


K180パワーアンプ



  電源分離型で作り±40V電源でしばらく運用し最終的には±100Vでテストしてみたい。


映画 クルード アマゾンの原油パニック (2009)

テキサコ社(その後シェブロン社に譲渡)によるエクアドルでの石油開発により水系が
汚染され住民が被害を受けるという事件。経緯はとても複雑で裁判は長年に渡った。住民側
にはアメリカの弁護団や環境保護団体が背後にいるがシェブロン社から莫大な補償金を得ら
れれば彼らも儲かる。それに国有のペトロエクアドルにも汚染の責任が有りそうである。
実地検証や各弁護団、当事者の発言が映像になっており裁判の経過がよくわかる。
スティングの妻が支援に一枚噛んでいた。ライブ・アースにポリスが出演している。ユニセフ
とレインフォレスト財団が出てきた。CNNも原告を後押しするという状況となり焦った
シェブロンはロビー活動を始める。映画はここで終了する。判決はまだ出ていないようだ。


塩野七生 ローマ亡き後の地中海世界 (2008)

西ローマ帝国がゲルマン人の諸侯に滅ぼされてからはビザンチン帝国にはサラセン人の侵入
からシチリア島を守る軍事力はすでになくローマさえ危ないくらいまでゆく。北アフリカから
やって来るサラセン人の海賊によりイタリア半島南部は9世紀にはとんでもない状況になって
いた。ローマ法王も苦慮するが頼みのフランク王国もまだ発展途上のヴェネチアも頼りになら
ない。

この本を読むとイスラムの本質がこれでもかと言う位よく分かる。海の向こうに違う宗教の
人々がいたとする。それを尊重して自分達は自分達で生きようとは考えないで力関係が許せば
異教徒たちを殺すか奴隷にして財産を奪う事を考える訳である。結局圧倒的に強い統治者に
守られていない地域はどんどんイスラムに侵食されて行く。人間の負の面を前面に出したよう
な宗教だ。キリスト教も歴史的には同じことを散々やらかしてはいるが。


NHKドラマ だから荒野

課長職の夫は会社で妻の家出を噂されている。あちこちでディスられるがとうとう朋美に
会いに行く。面会場所は車が見つかった大阪の警察署だ。車はボロボロで廃車になった。
社会の枠にガチガチにはめられている男の言い分は女から見るとどうも魅力に乏しいようだ。
朋美は長崎に帰って行く。

一方亀田青年は額は多くないがボランティア先から少しづつお金を盗み取って生活して
いた。そのことを知った朋美は亀田青年を追い出してしまう。老人はガンにおかされているが
入院を拒否している。なので時々外出先で倒れたりする。ある時公園で老人は自分の犯した
罪について皆に語り始める。原爆投下の日に瓦礫の中で生きていた妹を死なせてしまったの
だ。その後皆で池島に渡り亀田青年は自分の生い立ちとしてきた事を朋美に語る。二人の告白
の内容は良くもないけど悪いとも言えない何とも微妙なものだ。

ユウタは長崎でボランティア活動に参加する。父は否定的だったがユウタの姿を見に行く
ことにする。それを後押ししたのが長男だった。取って付けた様な展開だがやっぱり何かで
関わってきた。

その後のこの一家は長男は一流会社に就職、ユウタは長崎で高校生活、朋美は老人宅で
別居を継続ということになった。この結末に不満を抱く人は多いようだ。長崎での生活には
妥協と偽善のみが有り真実はないと思う。


映画 太陽の墓場 (1960)

大阪の貧民街での売血の風景。まるでメキシコかと思える映像だ。大島渚の日本ヌーベル
バーグの作品だが演出があざとくストレートな味わいが無い。似たような絵柄の映画では
当たり屋大将とかどん底の方がまっすぐな感じを受けるし伝わってくる。音楽も 有名クラシッ
ク音楽の骨組みを拝借をしたようなものが流れていてイラっとする。どうも失敗作っぽい。






FE103SOLの8Ωが手に入ったのでオデットに搭載しヤマハBー3で鳴らしている。FE108S
はやはりキンキンしていた。高域に関してはこちらの方が良さそうだ。


映画 ヴァンダの部屋 (2000)

リスボンのゲットーに住むヴァンダという女性の生活を追うドキュメンタリー。彼女
は妹と暮らしているが二人とも麻薬中毒だ。ヘロインを吸飲する場面が延々と出てくる。
ゲットーは再開発のため取り壊されつつある。その騒音がこの映画のバックグラウンド
ミュージックになっている。住人たちは口やかましく笑顔もないが悲惨さもそれほどない。

妹のカルラとヴァンダはヤクをやりながら刑務所談義をする。妹は窃盗の常習犯らしい。
ヴァンダは母を捨てた父のことを恨んでいる。ポルトガルもそれなりに経済発展したが
取り残された人たちということなのだろうか。周りに住んでいる男達もよもやま話しを
するがこちらはヘロイン注射をきめている。

ヴァンダはヘロインをやめるつもりは無く、誰かが忠告しても耳を貸さない。クスリを
きめて妹とおしゃべりするのが至福の時で残りの時間はただベッドにいるだけだ。悪い道に
落ちた昔の男友達が部屋に居候に来る。長い会話だがヴァンダの方が説教ぽく話している。
取り壊しは続くがどうもリスボンに残っているカスバのような所らしい。住んでいるのは
移民が主である。ここには希望の無さが満ちていた。









ACアダプターで作った正負電源。左が±16V 4A 、右が±15V 3A。


映画 寝ずの番 (2006)

原作中島らもということなので椎名誠以上に突き抜けた映画だ。エロ話と春歌のオンパレ
ードだった。芸達者を揃え手堅く作られていると思った。最初の方は楽しそうな生き方だな
と思えたが終わりになると馬鹿騒ぎが苦手な人にはあの中にいるのは苦痛だろうなと思えて
きた。どちらにしろこういうのは映画で見るだけでいいと思った。


映画 海猫 (2004)

切ないけど夢のように美しい映画だ。昆布漁の漁師に嫁いだロシアンハーフの娘の運命
を描く。音楽も風景もしっとりと映画を構成している。主人公は幸せにはならないが例に
よって読みかえると幸せとは何かがちゃんと描かれているわけである。森鴎外の雁もそう
だった。

主人公の義弟がキーパーソンになっていてどう動くかで運命が変わってくる。と思ったら
動いたのは主人公の方だった。この話の底流には男は無思慮身勝手、女は腹黒いというものの
見方がある。向田邦子でも有ったが女流作家特有の思考法だ。

泥沼の展開に決着はわりとすぐ着いたがその代わり命が失われた。


映画 皆月 (1998)

冒頭の侘しい状況設定は文学的でなかなかいいと思ったが逃げた女房が美人、後釜になった
ソープ嬢も美人では男にとって都合のいい話過ぎる。男の欲望をそのまま映像化したような
作品だ。

主人公は会社は潰れ女房には逃げられたという冴えない中年男だがつるんでくる義弟の助け
で女房を探し出し離婚届に署名させる。義弟は極道者でサイコパスそのものの暴力行為もする
し殺人も犯した。暴力を振るわれた方はたまったものではない。

この作品は男は暴力と権力とお金が好きで女は天使であるべきという世界観で出来ているの
で娯楽作品よりはシリアスだが真理とはかけ離れていると感じた。勿論女は天使に見えること
もあるがそれは男側から見た妄想に近いものであるし暴力とお金と権力は唾棄すべきものと
いうのがどちらかというと真理に近いのである。


映画 ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区 (2012)

オムニバス形式の4話から成る映画。第3話のピクトル・エリセ監督のを見ていると当時の
ポルトガル人の生き方のイメージが浮かび上がってくる。主に労働者階級の人の話だが国が
衰退し国外で働いたり戻ったり安定しない人生を送ったようだ。ヨーロッパ内での安い
労働力としての位置付けの時代もあったがアジアに負け何もなくなってしまったことが
読み取れる。


映画 一枚のハガキ (2011)

戦死者を二名出した広島の農家の辿った道をすざまじいほどに無駄を削ぎ落として
描いた映画だ。一切のまやかしもプロパガンダも無い。真実がここにある。これはもう
涙しか出ない。一方妻に駆け落ちされた帰還兵の侘しい生き方に一枚のハガキが何かを
もたらすようだ。時代は変わりつつある。

ヴァンダの部屋のような映画でさえまやかしやプロパガンダがある。人間の生き方には
元々まやかしがありプロパガンダで汚染されているのが通常だ。なのでそのまま実写した
ところで真実が含まれているとは限らない。

結局帝国海軍二等水兵の帰還兵は主人公の友子につきまとう村の世話役をぶちのめした後
財産の半分を友子に分け与えてブラジルに渡って行こうとしたが意外な展開になる。男は
夢見がち、女はしたたかで地に足がついている。このような考え方がこの映画からなんとなく
読み取れたがこれは真理を突いているかもしれない。


音楽の魂は細部に宿る

K180アンプにトラブル発生したので一時中華デジタルアンプでSOLを鳴らして聴いてみた
けど物足りない。綺麗だけどBGMだなと感じる。スピーカーが最高でもアンプにそこそこの
物を使っている人は結局こういう破目になっている。細部が聴き取れてこそ迫真の芸術として
感じることができるのである。

トラブルはコネクタのゲートのピンがすっぽ抜けていると判明して無事復帰した。これで
連休はこのアンプを堪能できる。


映画 延安の娘 (2003)

文化大革命の時代に下放政策により辺境の農村で生産活動させられた青少年の今を追う。
趙国棟は北京のある中学から延安に下放されたが今は北京に戻り結婚して妻がいる。王露成
も北京に戻ったが娘を延安に置き去りにしてきたらしい。娘が父親に会いたがっている事を
趙が告げると王は泣き出した。

仲介者が父親の写真を持って延安の娘海霞を訪れる。海霞は延安で羊飼いをしていたが
高窪村の農家に嫁ぎ一男を設けている。

述懐によると青少年はヤオトンに住み、食べてゆけないほど低賃金で働き出産は禁じられ
ていた。妊娠すると下放破壊罪になり中絶の上ダム工事などの強制労働処分が待っていた。

遠景から撮った延安の村の風景は辺境そのものだ。辺境萌えの者としては有難い映像だが
政治が関わってくると途端に恐怖を感じさせる。

海霞は周りの手助けもあり北京の長辛店に住む王露成の処に義父母と縁を切る覚悟で会いに
行く。短い会話がなされ翌日下放会のメンバーたちの慰労会に出て歓迎された。メンバー達は
下放され不屈の精神を培った者もいるが恨み続けている者もいる。

登場人物にはとぼけたような味がありあまり感動的とは言えないが、真実を照らし出した
ようなドキュメンタリーになっている。





  K180SEPPアンプが完成した。どんな音がするか一抹の不安もあったが杞憂に終わった。SITアンプの
中でも頂点に位置すると言っても良い音だ。繊細で透明でガツンとくるエネルギー感もあるという夢のような
アンプだった。

(つづく)