2014年の音楽生活9

  引き続きテストとして無料版のWordとクラウドを利用して書いてみる。こちらは写真も
挿入できる。



  
  山田太一  ありふれた奇跡

 このドラマではお金に関するエピソードがよく出てくる。離婚して家を出た翔太の母がお金の
無心に現れる。公務員の父は完全無視、息子の方はいくらか渡している。不倫した加奈の母が
元愛人に人形代金10万円を突き返す場面がある。いざそうしようとすると10万円が紛失してい
て狼狽する。

 藤本(陣内孝則)が二度にわたってお金のことで侮辱を受ける。その後仕事が当たって大金を
手にするがその額が100万円だった。早速料亭で二人にランチをご馳走する。

 翔太の仕事がなくなってお金に困る状況になると子供どころか結婚も論外になると本人が思う。

 要所要所でお金のことが顔を出す。やはりお金は大切だと言いたいのだろう。

 又このドラマでは若さと老成の対比が出てくるが加奈は何故か考え方が老成している。
山田太一の目が入っているのだが、見方を変えるとこんな女は実際にはいないとも言える。




  スケルトン8

 三日ぐらい聴いているが何だかこの音に魅了されてしまった。透明なだけでなく柔らかく
深い。ZDRとはまた違った味わいがある。




  映画 黒い画集 ある遭難 (1961)

 松本清張原作の社会派サスペンス映画。どうも登山する人は澄み切った心境であるはずと
いう先入観がじゃまをするのだが、例外としては起こりうるかもと思う。わざと狙って一人
だけ遭難させるという合法的に見える殺人だ。殺された弟の無念を晴らそうとした姉の暗躍
によりさらにどろどろとした結末を迎える。

 やっぱり陰謀を巡らすような人は登山を趣味にしたりはしないような気がする。登山は
人間の初源的な喜びの一つでそれに気づいた人がはまり込むレジャーなのだから。



  きたやまおさむ 帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学(2014)

 人生の答えが書いてある本は稀有と言っていいのだが、これはそうだろう。若くしてミュー
ジシャンとして成功を収めてもお金と名声だけではない、もっと面倒なものが付いてくるよと
いう話だ。

 フォークル解散後内科の医師として研修する著者だが、周りの反応も含め一筋縄ではいか
なかったようだ。その後わざわざロンドンまで行って精神分析を受けて自ら精神分析医となる
という手が込んだことをやっている。

 人生二倍苦しいという感じだ。著者は自分が辿った生き方はビートルズに対する嫉妬心がも
たらしたものと結論づけたが、僕は微妙に違うように思う。



  映画 傷跡 (1976)

 どこかの社会主義国のお偉いさんたちがうごめいているのが冒頭から延々と続く。森林を
開発して何か作るらしい。言葉はロシア語に似ているが「ワルシャワに行く」と出てくるので
ポーランドなのだなとわかる。主人公のお偉いさんは仕事をこなしつつプライベートのことも
少しづつ出てくる。妻と娘との関係がうまくいっていないらしい。娘は大学生だが二度中絶し
カメラマンと付き合っている。
話自体はヒューマニストのテクノクラートがコンビナートの責任者となり、解任されるまで
の物語だがポーランドがどのような国であるかがわかってくる。傷跡というのは今の人に残っ
ている占領時の記憶であるらしい。



 だんだんわかってきたがiPadには回路シミュレーターも基板エディターもなさそうで、
USBメモリーもマウスも存在しないらしい。不思議だが仕方がない。しかし文章入力は思って
た以上に快適だった。これほど静かで軽く、美しいデザインのノートパソコンはいままで無
かったのではないだろうか。


 とここまで書いてみてやっぱりGoogle Driveで行くほうが良いとわかった。Word onlineは
やめにする。



  映画 ダブルボディ (2008)

 現代イタリアの恋愛ドラマだった。主人公(ロベルト)は町の薬局に勤める薬剤師で物凄い
美人と付き合っていた。同棲を始めようとしたその日に彼女の二股を知る事になる。ちょっと
した口論となり彼女を追い出してしまった。後悔して苦しんだロベルトはストーカーになり
彼女はミラノに去る。彼女の事を引きずったまま新しい彼女(モニカ・ベルッチ)と付き合い
始めるが三年で破局になる。新しい彼女も美女なので話のつながりに疑問符がついたが彼に
とっては仕方がないのだろう。

 一方近くに住んでいる弟は大学に通っていたが男と同棲しバイトをして暮らしていた。兄は弟
がゲイである事を知っていたが両親には黙っていた。たまに二人で里帰りして両親と食事を
する事を習慣としていた。北イタリアの湖畔の静かな田舎だろうか。ヨーロッパで一番いい所
だ。弟は同棲相手と別れ兄に自分の病気の事を告げる。ロベルトは手術に臨む弟に付き添い
慰める。

 現実はこんな感じで進んで行くものなのだろう。幸せが見え隠れし、苦しみもがく内に
何処かへたどり着くがそれが何であるかははっきり見えないというのが若さの特徴である。
ジャックメスリーヌのように明快にゆくわけでもない。



  山本周五郎 青べか物語 おらあ抵抗しなかった

 結構ぶ厚い本なので(電子書籍だが)なかなか読了しない。できるだけ楽しもうと思って
食後のコーヒーとともに一本づつ読んでいる。

 この「おらあ抵抗しなかった」は銀公という若きジゴロのような船員の話だが読むんじゃ
なかったと思った。彼に対してすべての女が色目を使い男は少しは妬けるけど一目置いている
という感じで接している。ただ一人猛烈に嫉妬しているのは作者である山本周五郎だ。結末に
流血を持ってきたが果たして本当の話かどうか。作者が嫉妬のあまり銀次を懲らしめたのでは
と思えたのである。



  映画 花嫁と角砂糖 (2011)

 イランの一般家庭の娘がお金持ちに嫁ぐ。といっても隣の家の息子だが国外に移住して仕事を
しているらしい。親戚たちも自家用車や液晶テレビを持ちみんな貧乏ではなさそうである。
花婿から届いたプレゼントは最新型のiPhoneだった。

 これがプロパガンダ色のある映画かといえばそうは感じないが西洋文明はいずれ滅びるなどと
劇中で言っている。ほとんど会話だけでできているような映画だが女性は明るく開放的な印象
だ。

角砂糖を割る儀式を義兄にゆずって家長は翌日死ぬのだが、診察に来た医師が甥っ子に言った
言葉がルバイヤートっぽい。

  命は一陣の風 人生を吹き抜けていく

  決して止められない

  全てはただ置き去りにされるだけ

 男は兵役があり生活も少々不便だが家族が仲良く集まり葬式をする。女性や年寄りは大事に
され子供は伸び伸びと遊んでいる。平和である。でも実際はイランイラク戦争の爪あともある
しヒズボラとしていまだにイスラエルと戦っているという現実もある。闇は深いと思うのだが。



  映画 トロールハンター (2010)

 いかにもドキュメンタリーのように描かれており途中まで本当かもと思いながら見ていた
が、トロールがフラッシュを浴びて石になったところでおやおやと思った。テンポが良すぎる
展開もドキュメンタリーにしてはおかしいとうすうす感じてはいたのだが。

 どこまでいっても山と森林のノルウェーはアウトドアライフにぴったりだが過酷な面とそれ
ほど豊かではない印象も受けた。山小屋からみる極地の風景はかなり萌える。



  映画 ことの次第 (1982)

 これもドキュメンタリーなのか映画なのかあいまいな作品だ。撮影中に資金が尽きた撮影
チームがポルトガルの海岸のホテルで気ままに時間を過ごす。リスボンの市電や酒場あるいは
郊外の打ち捨てられた邸宅、セリフは気取っているが陳腐なことを言っている。最後に
監督がロサンゼルスに行きプロデューサーに会うが、彼は金を使い込んでキャンピングカー
で逃げていたという話のようだ。それにしても低予算の映画だった。



  精神医学 心の可塑弾力性

 自分の心について検証してみると状況に流されてどんどん変わってゆくが反発力もある
と思えるのである。これを可塑弾力性と名付けてみる。翔太はハイ、ハイと受け答えする
ばかりで可塑性は高いのだが反発力が無かった。加奈の父親に問い詰められた時に言い返せ
なかったのがそうである。ここは仲が壊れてもいいからズバッと真実を言えば良かったのでは
と思う。そのかわり後で加奈とホテルに行くということも無くなる訳だが。

 後のことは考えず、ぶん投げてみるのは鬱病にならなくて済む良い方法と思う。



  山本周五郎 青べか物語 留さんと女

 末尾に置かれたやや長いこの話は創作というより、世の現実を写し取った貴重な傑作に
なっている。

 水夫の留さんは貯金がたまる頃になると女ができるのだが使い果たすと女は去って行く。
女にとって留さんはそのような存在であり、もし間違って所帯を持つようなことになると
大変恐ろしいことになる。

 お秀という女郎上がりの女がやってきたのだが、1年くらいで出て行こうと目論んでいた
当てが外れてしまいそのまま居ることになる。本命の男に女がいて行くところがなくなった
のである。そうなると女は本性を出し留さんのことをいびり始めるのである。

 それをつぶさに観察した周五郎は疑問に思う。

 ・・・はらいせをするなら、する相手がある筈である。

 25歳の周五郎である。まだ青いなと思った。



  映画 チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢 (2011)

 これはイラン人が書いた大人の寓話だ。欧米化していたころのテヘランが舞台である。ある
バイオリン弾きがストラディバリを求めて得られず自殺しようとする。登場人物はイラン人の
はずだがペラペラとフランス語でしゃべる。夫婦間、兄弟間で口論するがその直截なことは
フランス人的である。さてバイオリン弾きは死のうとしてベッドの上でさまざまに回想し空想
する。何日めかに自殺の原因となるものが出てくる。妻が口論の末バイオリンを叩きこわした
のだった。

 回想にはナセル(バイオリン弾き)の生い立ち、修行時代、運命の恋人が出てくる。それが
超絶美人だった。その恋人との結婚はならなかったがそのことがナセルの音楽に魂を吹き込
むことになる。音楽家として成功を収めるが41歳になっていたナセルは故郷に帰り今の妻と
結婚する。ナセルは彼女を愛してはいなかったが彼女も相当な美人だ。

 8日後にナセルは死に母親の元に埋葬された。

 エピソードの構成が複雑で一度では分かりづらかったので何度か戻って見た。結論としては
ナセルは意気がって死ぬことは無かったんじゃないかと思う。これを機に働いてナセルの事を
愛していた妻を幸せにすれば良かったのだ。恋も芸術も壮大な虚妄と気づけば良かったのだ。

 今回は音楽は素晴らしいし、ありえない位の美人映画だった。主人公が思い悩む場面で
ルバイヤート第3節が出てくる。

  3

自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?



  映画 風速七十五米 (1963)

 田宮二郎が悪役だが友情に厚い男として出てくる。ネオン塔の建設を請け負った会社が
敵対する会社から嫌がらせを受けて社長まで殺される。建設途中のネオン塔は暴風雨で
壊滅するという話。新聞記者の宇津井健が活躍するが結末は上記のとおりなので何の役にも
立たなかったようだ。

 洪水のシーンが特撮で撮られている。実写の空撮と合わせて見るとわりと本物っぽかった。
ストーリーより特撮がメインの映画だと思う。



  映画 名もなく貧しく美しく (1961)

 昭和23年頃の話だが街の風景に何か見覚えがあるように感じる。昭和30年代の映画だから
だろう。

 こういった素のストーリーは重いような感じもするが何かを主張しているのではなく、本当
のリアリズムなのだろう。例えば山田洋次の作品では含羞のある斜に構えた人物が登場し、
山田太一の作品はそのアンチテーゼになっているという感じで複雑なのである。
聾唖者の夫婦が男児をもうけ子育てに悩むというストーリーになっている。一郎は小学校で
は強い子でそのため集団でのいじめにあったりする。家では聞かん坊で漫画とトランジスタ
ラジオが好きである。どう成長するのだろう。

 影を落とすのが不良の道へ入った妻の弟の行動だ。オート三輪などは全部本物。リアル三丁目
の夕日だった。



 


  P-1〜P-4 が完成したのでFF85Kバスレフとポータブル電源をつないでテストした。P-4は
なかなかのものだ。終段TRのhFEが大きいのが効いているのか。この中ではP-1がすぐれた
透明感で一番いいかと思った。



  映画 潜水服は蝶の夢を見る (2007)

 レントゲンのポジ画像の羅列とラメールが流れるだけのオープニングはここまで創作力ゼロ
だなと思う。脳幹の損傷による閉じ込め症候群をカメラで再現した冒頭のシーンは新しい
試みだなと思う。この病気になって失ったものが出てくるのだが意外にもとても華やかな生活
だった。主人公のジャンドーはパリに住みファッション雑誌の編集長をしていた。

 左目の視力とまばたきだけが外界との意思疎通の手段だ。後は何もできない植物のような
状態だ。単語を伝える訓練を積みながら過去を振り返ったり思索をする。自分の人生は小さい
失敗の積み重ねだったとつぶやく。ジャンドーは出版社と交渉し自伝を書くことになる。

 43分まで伏せられていた本人の姿がとうとう現れるのだが、チキンとプラムに出てくる
ナセルと同じとは。

 最後の場面は主人公が納車された高級車を駆ってパリの中心部を抜け妻と三人の子の待つ
自宅へ到着する。人生の頂点と呼ぶにはまだ早い43歳の時である。息子を乗せて劇場に向かう
途中脳溢血になり病院に運ばれる。

 散々出てきたのが何かのばちがあたってこうなったという妄想だ。搭乗席を譲ったこと、恋人
と聖地に行ったこと、デュマに対抗しようとしたこと。奇跡にすがろうとする人を軽蔑して
いたこともマリア様に見られていたかもしれない。

 結局本は完成し世の賛辞を浴びるが主人公は症状悪化のため亡くなった。



  魯迅 阿Q正伝 (1921)

 心の可塑性が高いと言えば阿Qが真っ先に思い浮かぶ。辛亥革命の頃の中国はすでにバラバラ
に近い。太平天国軍から自衛するために清朝は役に立たず、独自の兵力と徴税権を地方は得て
いた。これが軍閥の始まりである。

 その辺のことは出てこなかったが革命軍が入城する前に、城内(紹興市?)の有力者である
挙人老爺が革命しますと宣言すればもう革命が起こったことになるようだ。そのために治安が
乱れてしまい周りへの戒めとして阿Qは処刑されたことになる。

 阿Qの心の可塑性は高くどんどん妥協してゆくが弾力性は最後に自分に向かうという
パターンだ。



  映画 軽蔑 (1963)

 BBことブリジットバルドー主演、映画関係者のいけている生活を描く。脚本家の妻である
カミーユ(バルドー)はある日の出来事から夫との関係が冷え込む。何が起こったせいなの
かは暗示でしかないのだがどんどん尾を引いてゆく。どうも軽蔑に値することを夫がして
しまったようだ。撮影中の映画に出てくる神々を暗喩として語られるがどうもわかりにくい。

 アメリカ人プロデューサーに妻を売るような態度がそうかなあと思えるが。結局脚本家は
プロデューサーと訣別し仕事を降りてしまう。書くかどうかカミーユ次第だという。そういう
青い態度と狡猾なところがカミーユには気に入らなかった。

 その後の結末は取って付けたような感じだった。



  映画 パプリカ (2006)

 冒頭のつかみからオープニングまでで創作力爆発という感じだ。で所長がサイコセラピー
マシンでやられる。機械を研究員の氷室に盗まれたことが判明する。他人の夢の中に人が
入って行ける。でも入って行くのはバーチャルな自分のようだ。で氷室の夢に入っていった
パプリカが見たものは誇大妄想の石像と化した理事長の幻影だった。覚醒しなければどう
なるのだろう。

 壊れたポップカルチャーの群影が東京の街を行進する。都々逸のリズムで意味不明の言葉
が吐かれる。このエンディングでは理事長と研究員の末路が不明だ。



  映画 ズール戦争 (1964)

 ズールー王国の戦士の踊りを見ているとその迫力とリズムに引き込まれる。イサンドルワナ
の戦いでイギリス隊1200人が全滅させられるが、その後の砦での攻防戦を描いた映画である。
ボーア人が居たところにイギリス人が入り込んでいってそれをズールー人が攻撃するのである。
砦に駐留するイギリス隊は将校の間に確執があり兵士もあまり質がいいとは言えない。
ズールー人は緻密な作戦を立て整然と攻め立ててくる。少人数のイギリス隊は銃の連射だけが
防御する手段である。白兵戦に何度もなりもはやこれまでかと思いきや、相当の被害を出し
ながらもなんとか食い止めるのに成功した。

 しかしこの映画はかなり公平中立の立場で作られたもので傲慢なイギリス隊がいつ殲滅を
食らうのか、そうなったら胸熱ものだと思いながら見れると思う。



  映画 ネトレバの戦い ( 1969)

 1943年チトー率いるパルチザンがドイツ、イタリア、ユーゴ内右派組織による包囲攻撃を
受ける。ドイツ軍は戦車と爆撃機を使い攻撃を開始する。パルチザンは後方に退却するがそれ
にはイタリア軍を撃破しなければならない。機関銃、迫撃砲、地雷を有するパルチザンは意外
にも強そうだ。奇襲作戦によりイタリア軍を撃破しプロゾルを占領する。

 ここまで見てプロパガンダ映画だなと感じる。パルチザン側がちょっとづつヒューマニスティ
ックに描かれていて鼻に付く。調べてみると製作国はユーゴスラビアだった。題字は
イタリア語で俳優陣はドイツ語を喋るので違和感があった(実は吹き替え)。オーソン
ウェルズとユルブリンナーも出演している。ロケ地はユーゴスラビア国内なのだろう。

 パルチザンと住民約3万人はネトレバ川西岸まで追い詰められ危うく殲滅直前まで行くが
チトーの詭計によりモンテネグロ側に脱出することができた。チトー政権誕生の元となった
伝説の戦いということになっている。


  ラジオ技術 2014年 10月号

 ネルソン パス氏の新作SITアンプCSXー1の記事がありとても興味深く拝見した。SONYの
K82 J28 を使用したトランス入力ソース接地一段プッシュプルアンプだ。特徴としては深い
バイアスを独立電源で作っており、終段にはMOSーFETによるレギュレータが噛ませてある。
従って電源周りが結構複雑になっている。出力は20W、Zoは10Ωということだ。さすがに
知りたいデータは網羅してあるので記事を読んだだけで作れるし音の予想もつく。

 パス氏の音質評価を読むとウチのスケルトン8と似ていると思う。こちらはバイアスを
MOSーFETのダイオード接続で作っており、レギュレータも無しである。バスレフを鳴らすに
はスケルトン8の方が断然いいと思う。



  山田太一 親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと

 これも人生の答えが書いてある稀有の書と思う。だからと言って若い頃読むといいかどうか
はまた別だが。

 この本の中にありふれた奇跡が何であるかが書いてある。

 しかし、若さが短く、日常がほんのちょっとしたことで、がたがたと崩れてしまうことは
依然として事実なんですね。平板で退屈な日常も、実は奇蹟に支えられて、やっと存在して
いるかもしれないのです。

 そういう見方でないとなぜ突然降って湧いたように不幸が起こるかが説明しにくいのだ。



  映画 青春残酷物語 (1960)

 日本のヌーベルバーグを撮ろうとしたらこうなったのだろう。学生運動で社会を変えられ
なかった大学生を主人公にして、それに女を絡める。その頃の風俗として酒、タバコ、ダン
ス、ラブホテル、同棲、堕胎などを盛り込み、恐喝などの犯罪にも手を染めさせる。

 結局金持ちのおじさんたちは金を巻き上げられるだけで、おじさんたちの反撃は無かった。
その代わりヤクザたちからの反撃にあい主人公は死んでしまうという話だ。

 社会の歪みを最大限出そうとした工夫が見られるが、インパクトがあったかどうか。今観る
とまあそうでも無いかなと思った。



  映画 喜びも悲しみも幾歳月 (1957)

 昭和7年の第一次上海事変の頃の日本。観音崎灯台での夫婦の暮らしから始まる。平凡な
日常に時々スキャンダラスな事件も加わり、美しい風景とともに話が進んで行く。夫婦は
いたわり合い前向きで山田太一のドラマと違って少しずつ心を病んでいるという事がない。
大きな事件がなければ穏やかで幸せな人生が待っているはず、と安心しながら観れる。

 年代記のようになっていて夫婦は各地の燈台を移動してゆくが戦況が刻々変化する。
ショッキングだったのは米軍の戦闘機が燈台を攻撃目標にして機銃掃射で次々と燈台職員
を殺していたエピソードだ。余り大っぴらには言われていないことが映画になっている。
木下恵介は鬼才だろうか。

 佐田啓二、高峰秀子の美男美女の配役だったが普通に愚痴を言ったりケンカしたりする。
息子が非業の死を遂げて悲劇になってしまったが娘は良縁に恵まれこの話は終わる。



 リー・リトナーのRIT、RIT2がそろそろ再発売されていないかアマゾンで検索してみると
両方ともある。しかも1000円と安い。どうやらFusion1000というワーナーミュージック
の企画らしい。24ビットデジタルリマスタリングと書いてある。

 このシリーズから何枚か買ってみよう。



  魯迅 吶喊 原序 (1922)

 父が亡くなり、母親からもらった8円で洋学を学びに日本に来た魯迅であるが、なかなか
哲学的な事を言っている。

 たとえば一間の鉄部屋があって、どこにも窓がなく、どうしても壊すことが出来ないで、内に
大勢熟睡しているとすると、久しからずして皆悶死するだろうが、彼等は昏睡から死滅に入っ
て死の悲哀を感じない。現在君が大声あげて喚び起すと、目の覚めかかった幾人は驚き立つで
あろうが、この不幸なる少数者は救い戻しようのない臨終の苦しみを受けるのである。君は
それでも彼等を起し得たと思うのか?

 この時の中国は西洋文明の移入と政治改革を同時にやらなくてはダメなのにどちらも見込み
がない。だが本当の鉄部屋がやってくるのは30年後である。目が覚めかかって若者が大量に
死んだのが67年後だ。随分かかっている。


  映画 グランプリ (1966)

 車はF3だがモナコグランプリの雰囲気がよく出ている。公道レースはこうして見ると
やはり危ない気がする。フェラーリが強くホンダが参戦して3年目の頃の設定らしい。
モナコ、フランス、ベルギーと転戦しベルギー戦ではホンダ(ヤムラ)が優勝している。
事故で負傷したスコットがオランダ戦で復帰し優勝するがお祝いに同僚たちがイギリスの歌
を歌った。マザーグースのような気がしたので調べてみよう。ホンダのエンジニアが徹夜で
整備をする様子が描かれている。関係者のラブロマンスが中心となっている長い映画だった。

 調べてみるとFor He's a Jolly Good Fellowという歌だった。いわゆる誕生日ソングで
マザーグースでは無いようだ。



  映画 ガルシアの首 (1974)

 メキシコの雰囲気が全編色濃く味わえる。こういう言い方が適切かどうかわからないが
メキシコはアメリカの影響を受けた劣化したスペインと考えられる。旧教国で先住民に
かなり悪いことをしたと思われる。だからちょっと緩いような国民性を見ても共感する
ことはない。

 冒頭でアルフレッド・ガルシアの首を取ったものに100万ドルやるとボスが宣言する。こうい
う禍々しいものと人の欲望をリンクさせる事自体、大混乱を招きひどい結末になる事を約束
するようなものである。

 主人公の男がすでに死んでいるガルシアの墓を暴き、首を持ち帰るまでのロードムービー
になっている。田舎の風景が出てくるがやっぱり治安がとても悪い。B級の派手なアクション
も出てくるが結局この男は金より友情を選び、悪人を退治して終わる。メキシコ風の浪花節
のようだ。



  映画 イージーライダー (1969)

 観るのが 大体3度目くらいになるがだんだんわからなくなってくる。都会のインテリが
ヒッピーになり冒険するがその後社会復帰し年を取りエグゼクティブになるというストーリー
なら実際にも有りそうだし違和感もないが主人公の二人は横死してしまう。不条理な死で
良いと思うが宗教的な暗示もふんだんに出てくる。弁護士が死にキリエのロックが流れ、
娼館で読んだラテン語の言葉が自身の死と結び付けられ、墓地で乱交し死者を冒涜する。
これではマリア様が見ていて鉄砲を撃ったのがルシファーに見えてくるのである。
 
 冒頭軽くメキシコが出てきて、爛れた上流階級に薬を売り、自由な旅に出る。マルディグラ
を観に行くと言うのは悪くないアイデアだ。中西部の人は素っ気ないが親切、南部に行く
につれ人々はねっとりとし悪意をむき出しにしてくる。南部の女性は素朴で好奇心が強く
主人公たちには悪くはしなかった。昔見たときは真実に到達しているような気がしたが
今見ると焦点がぼけたように感じる。



  映画 招かれざる客 (1967)


 この頃の米国は豊かで文明的なことこの上ないので安心して見ていられる。テーマは手塩に
かけて育てた一人娘が黒人男性を結婚相手として選んで来たというものだ。両親はリベラル
な方だがさすがにこれには慌ててしまう。父親はサンフランシスコで新聞社をやっており
成功者だ。母親も経営者で娘は弁護士を相手に選ぶものとばかり思っていたのでショックを
隠せない。相手の男性は凄い経歴の有名な医師という設定で黒人である点を除けば申し分
のないものだ。これで断われば人種差別ということになる。

 結局説得は難しいので父親が最後に長い演説をして容認して終わった。あれこれ考え検討し
た結果こうなったが、要するに考え方次第ということだ。現実はそうは行かないわけでこれで
良かったかどうかはわからない。

 もしかするとこのケースは親が偽善者だと子は変な方向に行くという例の法則が発動したもの
か。



映画  蟻の兵隊 (2006)

  北支派遣軍第一軍の将兵約2600人が武装解除されず地元の軍閥の部隊に加わって
共産党軍と戦ったという事実について、軍による命令があったかどうかの裁判が行われた。


この映画は原告側の元残留兵奥村和一氏を追うドキュメンタリーになっている。奥村氏は
山西省公文書館に所蔵されている文書を証拠として提出し裁判に臨んだが結果は国側の勝訴
となっている。
  真実を隠蔽した裁判のあり方も興味深いが、大元の原因は軍閥と将校たちとの取引に
あるだろう。武器だけ置いてみんな帰ってくれば問題なかったのだ。ここも含め上層部が
何をやっていたのかについてはなかなか情報が出てこない。

  その後大同で起こったとされる惨劇を調べようと帰還者を訪ねて聞き出そうとする。
このへんはゆきゆきて神軍の奥崎氏と重なる部分があるように思えた。



  Freecell #9888mmm




 気が付いてみると今年の内に10000に到達しそうだ。そこでこれにぶち当った。 位相が
ずれまくっている感じでどうしてもone space足りなくなる。とうとう一個欠番がでるか、
と思ったら翌日出来てしまった。一番有望な所を何度もやって他のも試してみるという
やり方だが今回は直観で進んでいって無意識のうちに解けていたという感じだった。



  映画のメタ分析

 映画タイトル(サンプル数1500)に出てくる言葉を集計した。多く出てくる言葉はそれだけ
人間にとって重要なのだろう。


43 女
29 天
28 愛
25 男
23 恋
23 地
22 赤
18 夜
17 海
16 空
16 風
15 金
14 青
13 白
12 黒
11 春
11 戦争
10 夏
9 神
9 東京
9 パリ
7 人間


 女、宗教、自然、色彩が多い。つまり映画は男が撮り、写りこむのは自然と人間で我々は
それを目で見るのである。重要度もあるだろうが映画の特性にも影響を受けている。



  SITパワーアンプ



 結局別電源で作ることになった。入手したトランスでは全部入りきらない。一部穴あけした
が、この段階が一番メカニカルで萌える。



  映画 心中天の網島 (1969)

 紙屋治兵衛と女郎小春の心中譚。女房のおさんが身請け金を工面して治兵衛に渡そうとする
状況はシュールさがただよう。なぜならおさんと小春は一人二役の設定であるので永久運動
っぽく見えるのである。義父に見咎められ望みを断たれた治兵衛の慟哭はわかるような気が
する。この解決法のないどん詰まり感の事を考えると少々の落ち込み位なら矮小化でき気が
楽になるだろう。

 小春とおさん役の岩下志麻は極限にまで美しさが引き出されており演技も素晴らしい。



  室生犀星 杏っ子

 高校の頃読んでみるとなかなか杏っ子が出てこないので読むのを断念した小説だ。その後
大人になって一度読んだが杏っ子は想像していたのとはちょっと違っていた。あまり幸せに
なっていないのだ。今回書庫から出してまた読んでみる。

 主人公の平四郎は物心がついて見るととんでもない酒乱の女おかつが養母として居り、
いびられる毎日だった。三人のもらい子は将来のATMとしておかつに育てられ上の二人は
働いてお金を運んだりお酌をしたり愚痴を聞かされたりするのであった。従順でない平四郎は
おかつの癪にさわるのかいつもいびられ役であり酷い言葉を浴びせられながら抜け出す方法
のない少年期を送る。

 48ページ目で駿河台の病院で杏子つまり杏っ子が生まれる。こんなに早く出てきたっけ。
その4日後くらいに関東大震災が起こる。このあとは被災状況の話になる。実在人物である
百田宗治と芥川龍之介が実名で登場するというちょっと変わった小説 だ。
 
 震災の部までは緊迫感もありよく書けていると思うが金沢に疎開してからの描写には違和感
がある。昔美人だと目していた女の所を訪問して歩いている。美人にひれ伏してしまう性癖が
あるのを隠さずにいる。妻の実家の家族構成と人物を書いていないが、新聞の連載小説という
ことも関係あるかもしれない。



  DVD 風と拳銃 野村秋介の荒野 (2008)

 右翼活動家野村秋介の生い立ちから活動歴、私生活をまとめたビデオ作品になっている。
河野一郎邸焼き討ち事件(1963)、経団連襲撃事件(1977)、新井将敬黒シール事件
(1981)、一力一家組事務所撤去騒動(1985)、モロ民族解放戦線カメラマン拉致事件
(1986)の中心人物で、逮捕され18年間服役している。本人は自己を西行や山頭火に
なぞらえているようだが、イタリアンブランドに身を包み論客としてテレビに出演したり、
復縁した妻と海外旅行を楽しむ時期を見るとジャックメスリーヌの生き方とよく似ている
と思った。

 1993年週刊朝日の記事に抗議して朝日新聞本社にて拳銃自殺している。参院選挙で落選
して行き詰まったのか、元々このくらいの歳で人生に幕を引くつもりだったのか、この資料
からは読み取れなかった。

 旅行先が凄い。シドニー、ロンドン、スイス、スペイン、イスタンブール、カリブ海、
パリ、ナポリ、ローマ、シシリー島を訪れている。



  室生犀星 杏っ子

 養母である青井かつの素性についてある程度わかってくる。今では考えられないような
数奇な人生を送る人たちがおり、おかつはその中をくぐり抜けてしぶとく生き残ってきた
のだ。「7年ごとの記録 56歳になりました」で見たように男と違って女にはこういう能力が
ある。

 芥川龍之介が訪ねてきて犀星の用意した兼六公園の古い別荘に泊まる。夜は芸者衆をあげて
犀星と遊興した。龍之介は酒がいける口では無かったようだ。龍之介はエッセイでも芸者との
交流について書いていた気がする。この小説も実話っぽいのであと3年くらいで龍之介は世を
去ることになる。



Freecell #10000



10000に到達した。今年前半は低調だったが。



#11982の解決不能問題が近づいてきた。



  映画 キャッチミーイフユーキャン (2002)

 音楽だけは本物。聴いていてものが違うなと感じる。冒頭、時系列に凝った部分があるが
まあ普通に見れる。またデカブリオの天才話かと思った。共感できるところは殆ど無い。
作った人はこういうのを面白がっている感じがするのだが、宅間守事件もこのようなもの
だったはずで日本人にはあまり受けないような気がする。



  映画 アフガン零年 (2003)

  タリバンが実効支配しており女性たちのデモを鎮圧しにやってくる。撃ち殺したりはしない
ようだ。病院での外国人の女はいるかと銃を向けて言う場面で撮影スタッフはタリバンに
見えているわけでドキュメンタリーではなく映画だとわかる。老婆のセリフ、タリバンの
指導全部建前ばかりで真実はどこにもない。子供が集められてタリバンになる。結構嬉しそう
だったがそんなものなのだろう。

 主人公の女の子が男の子に化けてタリバンに入るが雰囲気からばれて処刑される状況に
なる。撮影していた外国人も一緒に死刑になる。ただこれは映画の撮影のはずである。実際に
あったことの再現映像だろう。

 刑を免れた少女が老人の元へ連れて行かれ花嫁にされる。そこにはすでに何人もの花嫁が
いて人生の絶望を述べる。皆初夜に貞操を奪われたそうだ。どこまで本当のことなのだろう。



映画  蕨野行 (2003)

  江戸時代の豪雪地帯の村の話。合掌造りの民家に雪が積もっている。冬でも凍らない
小川が流れ樹氷の風景が映し出される。冬でも水が得られるオイミヤコンと同じで食料と
薪の備蓄があれば容易に冬を越せる。春になると雪解け水が流れコブシの花が咲く。村人は
味噌作りを始め、米作りに取り掛かる。冷夏になれば命取りになる。

  この一帯の村には60になると半里離れた蕨野に住み食料は村に貰いに来る生活をするという
掟がある。主人公のレンは60になり掘建小屋のある蕨野に仲間と住むようになる。ここでは
耕作が禁止されているため足腰が立たなくなった者から速やかに衰弱死してゆく。非情な
ようではあるが食料と介護を最小限にする方法なのだろう。

  こういう話を実写で淡々と見せてくれる映画だった。淡々とし過ぎていてややリアリティ
に欠ける演出かなと思った。

(おわり)