ハイパワーなポタアンたち

 OnkyoのGX−20AXはそのダイナミックな音に驚いた。特性を調べなおしてみると



  出力がこんなにある。




 SITアンプもこんなだった。出力に余裕があると音がひと味もふた味も違う。


  以上を踏まえて真打のLM380を登場させる。据え置きアンプでこのくらいの特性になる。

  これも大好きな音なので持ち運んでみたいのだ。




  006P二個で運用するポタアンを設計した。















  部品を載せたところ。配線はのちほど余裕を持って行いたい。



  難易度の低いほうのμPC2002アンプの基板が完成した。これは申し分のない音だ。18Vだと石が熱々
になるので9Vで良いと思う。唯一の欠点は大きなポップノイズか。



 夜道で聴いた。

 これは無色透明のアンプとは違う。音が化粧されて出てくるのだ。いままでスキップしていた
ような音に魅力のない曲も聴きとおせてしまえる力があるアンプだ。

  ただ長く聴いているとだんだん鼻につくようになるのも事実だ。出力Cにいれているミューズ
が関係しているのか、石のせいなのか実験の余地はある。
  



  マルツのアンプキットのようなものをポタアンで作ってみる。









  完成したのでHA−4 MOSと名づけておく。

  iPodをのせてカバーフローでアルバムを楽しんでみたが、MOSアンプの良さが堪能できた。これは
ちょうどふつうのアンプからHMA-9500IIに変えたときの変化に相当する。

  これを当分常用することにしたので夜の散歩で聴いたがFETアンプらしく音色がきれいで空間の見通しが
良い。エコーが克明に聴き取れるので録音年代によるエコーマシンの違いがとてもよくわかる。±9Vを与えて
いるのでダイナミックな感じもでている。

  K213/J76のコンプリペアはいまさらながらヘッドホンアンプに最適なようである。




  この型紙を実寸大にプリントアウトして用いる。





Zo = 0.6Ω


  秋月のポタアンケース



  18Vで動作させてみる。ブラックバードが射程内に入ってきた。







  作ってみるとこれが一番プラモデルの製作に近い感覚で楽しめることがわかった。間違えずに作れば
調整なしで100%動作するからだ。

  ま、とにかく回転メカがあると萌えることは確か。自動車の製作者はあの回転メカだらけの機械に悶え
つつ日々を生きているのだろう。


  どうやら完成したようだ。



  しばらく据え置き機として使ってみる。



   思ったとおりのハイパワーアンプに仕上がっている。


  アンプ作りにたいしてマイペースを貫いている私だが、いつものように作っていると電解コンの逆接、
トランジスタの逆接に見舞われたうえにコテ先を指でつまんでしまった。こんなにおちょくられるとは、と
怒りのスイッチが入ってそのアンプをねじふせて完成させた。

  マイペースから戦闘体制にいつ入るのかは重要と思うが、力が1.5倍位にはなるようだ。


  メンデルスゾーンの交響曲を聴いている。すぐわかるのは弦に弦楽合奏の趣があることだ。単なる伴奏
よりも深い。第1番はまあまあな感じがしたが、同じCDに収録されている第5番「宗教改革」はあっと驚く
完成度の高さだ。

 第4番「イタリア」は明るめの主題でベートーベン風に書くとこうなるという見本のような交響曲だ。こんなに
上手に書けてしまうと、その後は同じやりかたで誰も書こうとは思わなくなる。こうしてベートーベン風の
交響曲はすたれていったのだろう。

  第二楽章。コントラバスのピチカートに導かれて憂いのある旋律が流れている。これは何かに似ているが
なかなか思い出せない。ずっと考えているとぼんやりとしたイメージの中から新世界よりの第2楽章の一部が
浮かんできた。CDで確かめてみるとそうである。ドボルザークは曲の完成度がとても高いと再認識した。

  チャールズアイヴズの交響曲第2番は冒頭からこれがでてくるがあとがだいぶ違う。



LH0032CG





   これも萌え系のディバイスだ。このメタルカンの姿に萌える余りあらぬことを口走ってしまわない
よう自重しよう。



  特性はこのようになった。十分ハイパワーだが歪は多いほうだ。



  見てのとおり006P一本での運用となった。


  LH0032の中身をBSchで書いてみた。



  この空中配線を実行するのは・・・。その前に裸のチップが入手できない。



  標準タイプのヘッドホンアンプにした。このくらいコンパクトにすればそれほど遜色は無い。




  ついでに新型ぺるけアンプも推測で書いてみた。



  ロベルト・シューマンの交響曲全集を聴いている。

  第2番 第二楽章 スケルツオ

   ポップアートのような斬新な音楽。才気煥発な人でなければ作れない。マーラーには無理だ。しかし
ベートーベンはこのような曲を少なくとも2曲は書いている。

  第三楽章 アダージョ エスプレッシヴォ

   交響曲としては前代未聞の美しさだ。詩人の恋の世界が再現されている。

  シューマンの交響曲はどうやら右脳に入ってくるらしい。マーラーは左脳だろう。ポジトロンCTで確認で
きるかもしれない。

  音楽が右脳に入ると癒しとともに脳が活性化される(これは適当な仮説です)。


  今日は休日。朝からスケルツォ大会を試みた。シューマンの傑作スケルツォを手始めにベートーベン
のを聴いてゆく。調べると交響曲内に8曲あるそうなので聴いて確かめてみる。

  2番のは微妙。6番もローカルフォーク寄りだ。5番のはまあスケルツォの枠をはるかに超えている。
シューマンが怯えたというコーダの部分を何度も確かめたが、ベートーベンは光と闇をあやつる霊媒音楽
の境地に達していたのだと結論した。9番もスケルツォというには芸術的すぎるかも。

   1番、3番、4番、7番

  が本格的な特級のスケルツォだ。独特のリズムと空気を読まないすっとぼけた旋律と転調を
特徴とする。

  チャイコフスキも聴いてみた。

  1〜3番はすっとぼけさが足りない。4番はみごと。幻想的で美しい。5番はワルツ。6番
も良いが構成が複雑。

  ブラームス

  1番はスケルツォ無し。2番は凝りすぎているためスケルツォとわかりにくい。3番、4番も無し。

  おおブルックナーはスケルツォの宝庫か、9番すべてにある。完全装備だ。

  第1番この空気を読まない破壊力。ブルックナーはスケルツォの名手か。第5番よく立ち止まるし、ワルツも
出てくる。

  マーラー

  1の2、2の3、5の3、6の2、7の3

  いやあこれだけ書いているのですね。きちんと聴いてあげなくては。

  1の2は完全に舞曲。2の3も舞曲風だが。チャイコフスキーのより面白さが感じられる。
5の3は全く自由な音楽。スケルツォを書こうという気が無いのかな。それはそれで結構。
6の2はちょっとスケルツォらしい。7の3はウィンナーワルツみたいなところがある。スケルツォ
の場所に置いてみたというところか。新しいスケルツォを創造したわけでもなさそう。

  ショスタコービッチ

  1の2、4の2、5の2、7の2、8の2、9の3、10の2、14の3、15の3が該当する。

  プロコフィエフ

   3の3、7の2?

  ドボルザーク

  2の3、4の3、5の3、6の3、7の3、9の3

  8番の第3楽章は舞曲になっている。

  シベリウス

  1の3、2の3、4の2?、5の1、6の3?、7のどこか

  メンデルスゾーン 無し。

  シューベルト

  5の3?、6の3、8の3


  これだけ調べたのであとはシェフィールドのCreme de la Cremeを聴いて終わりにしよう。
 ハイドン、モーツアルトの典雅な交響曲にはない世界だが創始者のベートーベンを超えるものは
なかなかなさそうだ。