世界史入門
1 はじめに
2 滅びて見捨てられたもの・・・それが遺跡
3 異民族による侵略
4 最小単位の侵略
5 100人が殺されれば1000人は逃げる
6 だらしなく混住した地域は
7 王は滅んでも神は永遠不滅
8 水が豊かさと文化を生む
9 完璧な障壁が民族とその文化を守る
10 ノルマン>ゲルマン>ラテン>スラブ
11 アラブ人
12 失敗国家の末路
13 自国の歴史を教えられない国
14 琉球王国の歴史
15 朝鮮略史
16 アルメニア人の町
1 はじめに
きちんと教育を受けわき見もふらずに働いて、いい家を建てたとする。或る日そこへ毛沢東が現れ、全部自分の別荘にし趣味の悪い改造をほどこす。
嘆く勿れ。これが世界史標準の世界観である。多かれ少なかれ権力を握ろうとする人々は毛沢東と同じ考えを根底に持っている。自分の努力で何かを築こうとはしていないからである。
日本は?世界史標準の世界観を持つ必要のないちょっと変わった国である。
2 滅びて見捨てられたもの・・・それが遺跡
世界には見るべき遺跡は多いが、日本には少ない。発見されたものでは福山市の草戸千間遺跡が有名で、1673年の洪水で埋もれてしまったものである。あとは先土器時代、縄文時代、弥生時代のもの、それと古墳しかないのである。参照→丸子町郷土博物館
これは日本人が歴史に登場してから異民族に支配されずに現代まできたからというのが主な理由である。このような国は世界でも珍しい。
一方世界を見るとエジプトの古代王国の遺跡は、アラブ人の国になっているし、メソポタミアの遺跡はやはりアラブ人の国になっている。インダス文明も先住民の遺跡で、今はアーリア人の国になっている。エーゲ文明の一部はトルコの領土だし、アステカ文明、マヤ文明はメキシコに、インカ帝国はチリなどのスペイン人の国家になっている。しっちゃかめっちゃかなのである。
人が定住し現代まで続いていれば、都市そのものは徐々に破壊され建設されてゆき姿が変わるだけで、古い姿のまま残ることはすくない。住民にとってはそれが一番幸せなことであり、滅びるという事実の内側には人間の一番暗い面である、侵略、虐殺、支配が必ず存在するのである。
3 異民族による侵略
メソポタミアにバビロニア人の王国ができていたころ、その繁栄に刺激をうけた周辺の異民族がその富を奪おうと活動を始める。四方八方を異民族に囲まれたような平原では侵略を防ぐことは不可能に近い。やがてバビロニア王国は、ヒッタイト人に滅ぼされる。周囲にひとたび軍事的に強力な種族が現れると国の存続は危うくなる。中世のころまでは世界はそうであった。モンゴル人により滅ぼされた都市や国は数多くある。
近世にはヨーロッパ勢力のアメリカ大陸侵略、近代においてはアフリカ、東南アジアへの侵略があった。2度の世界大戦を経験した欧米諸国は国連の安全保障理事会に侵略戦争を防ぐ役割を持たせている。これが機能した例としては朝鮮戦争がある。開戦された同日くらいには緊急安全保障理事会が開かれ、北朝鮮は平和の破壊者と断定され国連軍が投入された。
この場合南朝鮮はまだ国連加盟国ではなく、侵略した側も異民族というわけではないので、事情はやや複雑であるが、国連の判断は正しかったようである。
最近ではイラクのクウェート侵攻では、多国籍軍が活躍した。
しかし今でも侵略から守られるためには、その事案が安全保障理事会に提出されなくてはだめなことから、チベットの漢民族による侵略は非可逆的段階まで進行してしまった。弱小国でも国連に加盟していれば、安全保障理事会が機能して侵略国を返り討ちにできる。そのことが周知されればかなりの抑止力になるに違いない。
4 最小単位の侵略
今の日本でも国のレベルで侵略を受けたときは、強力に抑止できる体制がとられている。これが国家レベルでの安全保障である。内乱に対しても日米安全保障条約が有効であり、ただちに鎮圧することができる。内乱を計画し武器庫を作ったりすることは日本では難しいだろう。
戦後60年間たつが、少々不安定な時期はあったものの、いまではそのような動きはなりをひそめている。(どういう勢力が内乱を計画していたかは誰もが調べて知っておいたほうがよいだろう。)今では外国人が増えたこともあり、外国人による個別の犯罪に対しては効果的に抑止できていない状況にある。いくら国の防備が万全でも個別に撃破されたのでは国民はたまったものではない。外国人犯罪は最小単位の侵略とみなして刑法と違った法体系の下で対処しなければならないはずである。入国管理体制を充実させ公安警察が動くようにすれば理想的である。
今日本で異民族による支配が無いかというとそうとは言い切れない。国以外の存在で国民から税金のようなものを取ろうとする集団は怪しい。すべての給料を消費者金融に吸い取られる多重債務者は、世界史的に見ると国とは別の支配者に重税を課された存在であり、自殺に追い込まれた場合は滅ぼされたことに等しい。
こういうのは国家レベルで守らないとだめなのである。
5 だらしなく混住した地域は
実例を挙げてみよう。17世紀よりオランダが植民地として経営していたアンボン島。住民(アンボン族)は例のごとくキリスト教に改宗させられていた。それにイスラム教徒の移民が加わり、人口比で6対4程度になっていた。
インドネシア独立後は、分離独立の動きも見られたが鎮圧された。1999年1月キリスト教徒の青年とイスラム教徒とのトラブルから、アンボンにおいて騒乱が発生した。 扇動する勢力の存在と治安維持力の不足から、ほとんど内戦状態にまで事態は発展した。死者一万人、避難者40万人という数字もあるが本当のところはよくわからない。2003年二月に和平が結ばれ終結した。
ごく最近の事例なので、知ったときは驚いたがニュースで見た記憶は無い。
最初から混住しないことが大切である。
6 王は滅んでも神は永遠不滅
西アジアはメソポタミア、シリア、イラン、エジプト、アラビア半島、(アナトリア)を舞台としてシュメール人が現れた紀元前3000年ごろより激烈な闘争が続いた地域である。
最初はセム族とイラン人の間で民族の興亡が続いた。アナトリア、シリアにギリシャが植民市を作ったがすぐ地図は塗り替えられる。
ここではとても重要なものが生まれる。ユダヤ人(セム族)の作った旧約聖書(ユダヤ教)、キリスト教、フェニキア人(セム族)が作ったアルファベット、アラビア人(セム族)が作ったイスラム教である。
旧約聖書のエレミア書には国が滅びゆくさまが描かれている。いつかは王は死に、国土は奪われる。そのとき民族が消滅しないためには永遠不滅の拠り所が必要になる。
西アジアで生まれた一神教の神こそ、国の興亡のなかから生まれた民族を守るための智恵なのに違いない。
イスラエル王国はバビロニアに滅ぼされユダヤ人は流浪してゆくが、また2500年後にイスラエルとして復活する。
イスラム帝国は徐々にトルコ人に侵食され、周辺にトルコ人の王朝ができてゆく。そういうとき思いがけずもモンゴルが来襲し西アジアはモンゴルに支配される。そのときトルコ人はアナトリアに逃げたのである。モンゴルが去るとトルコ人の天下である。オスマントルコは400年もの間アナトリア、シリア、メソポタミア、エジプトを支配しつづけたが、最後は西欧列強に解体されそうになる。危なかったが奇跡的な近代化によりなんとかアナトリアに残ったのである。
ここでもうひとつ、滅びないためのキーワードとして急速な改革というのがでてくる。
そう、改革に遅れをとり滅びたという国は枚挙にいとまが無い。滅びたあとに復活するというウルトラCを成し遂げたのはユダヤ人だけである。
7 100人が殺されれば1000人は逃げる
今では反乱をガチンコで弾圧する国家はロシアと中国くらいしかないだろうが、ウズベキスタン共和国で起こった。
2005年3月13日ウズベキスタンの都市アンディジャンで起きた反政府暴動への弾圧を逃れ、隣国キルギスに住民約540人脱出し、テントで難民キャンプを始めた。殺された人数は500人とも1000人ともいわれているが実際の数字は不明である。
世界史を学んでゆくと、虐殺が始まれば人々は恐れおののきその連鎖反応からおよそ10倍の人がパニックになり逃げ出すだろうという考え方が身につく。毛沢東治下の中国の場合、逃げることはできないので1割虐殺されれば9割が転向するという具合になる。
8 水が豊かさと文化を生む
どうも日本にいるとこの国の豊かさに気づかないが、実は思わず笑ってしまうくらい豊かなのである。魚を獲るにしても網をかければどっさり魚がかかるし、漁師の人は漁船の燃料代で赤字になるというが、これをアフリカの人が見たら仰天するような光景であることは間違いない。チャド湖のあたりでは1日働いてやっと3匹という状況だったりする。
日本は山が多く、そのため意外なくらい湧き水のでる人里が多い。台風については巨大な水がめが飛んでくるという印象がある。何億トンの水がめだろうか?
雪解け水で作られた米はおいしいだけでなく体にも良い。わざわざ雑穀を買ってきて混ぜるのは本末転倒である。
気象コーナーで、「大気の状態が不安定になり・・・」という言い回しがよく使われるが、「大気の状態が不安定=効率的に水蒸気から水が生成される」という意味なので実はとてもありがたいことなのである。いかにも要注意のような言い回しは誰が考えたのだろう。
太平洋で太陽の熱をうけて生じた水蒸気が、大陸で冷却された空気と出会うことによって大量の水が生じるのであり、海は近くても水蒸気のまま落ちてこない国のほうが多いのである。
9 完璧な障壁が民族とその文化を守る
陸続きであるということは必ず滅ぼされるということとほとんど同義であるから恐ろしい。支配者が変わるくらいならまだ良いのかもしれない。支配されるくらいなら祖国を捨てて移民になるという選択肢もあるだろう。
ちょうどそのくらいが世界史的な世界観なのである。
日本の場合はそこまで追い詰められたことはなかったが、もしかすると戦前の移民政策はそういう状況に近かったのではないだろうか。
10 ノルマン>ゲルマン>ラテン>スラブ
根拠は薄いが、ノルマン人はゲルマン人より若干格上のような気がする。つまり、ノルマン>ゲルマン>ラテンということである。ノルマン人はそれほど表立った活躍をしていないように見えるが、彼らのの合理的な考え方はちょっとした驚きをもたらす。
純粋ノルマンの国は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーであるが、いずれも王国である。世界史を少し学ぶと、フランスにも、イギリスにも、イタリアにもノルマンの血が入っていることを知るし、ロシアの起源にもノルマンがかかわっている。支配層にノルマンの血が入っているのだ。テレビで見るロシアの運動選手を見ると、ノルマン風の容姿端麗で体つきもがっしりしたのと、いかにもスラブ風なのと区別がつく。ノルマン系はアメリカにも少なからず移民としてはいっている。
オランダ人は低地ドイツ人とも呼ばれるくらいで、ドイツ人が海洋民族化したらこのようになるのだと考えられる。
ラテン人はイタリア半島に発し、ガリア地方、イベリア半島に拡散した。勤勉さやマネジメント能力がやや劣るようだが、ヨーロッパの基本文明をしっかり生み出している。
スラブ民族の国は基本的には農業中心の開発途上国であるパターンが多い。文化的貢献度もラテン、ゲルマンには及ばない。対立や抗争が多く、他民族による支配も受けてきた。民族移動でもっと端っこまで行っていれば独立性が得られたかもしれないが、中途半端な位置が災いしている。
11 アラブ人
セム族であるフェニキア人、ユダヤ人、アラブ人は白人である。
以下省略。
12 失敗国家の末路
経済に失敗し、治安の維持にも失敗したような国は失敗国家として苦難の道を歩んでいる。アフガニスタンとフィリピンがその代表例である。
イスラム武装勢力と共産党武装勢力が国土にいるフィリピンはかなりまずい状況と思うが、アロヨの次の政権でとんでもないことが起こりはしないだろうか?そのような国でも金持ちは平気なのだろうか?
内乱を速やかに鎮圧するための米軍はもうないのはどこかの国の工作活動の賜物であろうか。
13 自国の歴史を教えられない国
タスマニア島の美しい丘に建てられた小学校。読書好きのメアリーはある日歴史の授業でエプスタイン先生がこう言ったのを聴いた。
「私たちの国は18世紀にヨーロッパからの移民によりできました。その当時は原住民はほとんどいませんでした。・・・・」
その日の夕食のときメアリーは父親になにげなくこう尋ねてみた。
「ねえパパ、私たちのご先祖様がこの国に移民したとき、原住民がほとんどいなかったのでしょう?」
父親の顔がさっと曇った。
「いやメアリー、ほとんどいないということはないな。かなりいたさ。学校ではそうおそわったのかい。」
メアリーは意外な答えに驚き、さらに質問した。
「じゃあ、もともといた人たちはどこへ行ったの?この美しい島には色の黒いひとは一人もいないのに。」
父親はこう答えた。
「メアリー。お前にはまだ理解しがたいかもしれないが、本当のことを言おう。」
母親のエリザベスはあわてて止めようとしたが、遅かった。
「この島の原住民は一人残さず殺されたのさ。私たちの利益のために。」
メアリーはあまりの衝撃に学校へ行くのをやめてしまった。一家は本国のイギリスに戻った。
数年後、中学生?になったメアリーは歴史の授業でトンプソン先生がこう述べたのをはっとして聴いた。
「このイングランドは五世紀に私たちゲルマン人が原住民のブリトン人を征服して成立しました。・・・・」
メアリーは息をのんでこう叫んだ。
「先生!私たちの先祖はブリトン人を皆殺しにしたのですか!」
先生はあきれた顔をしてこう言った。
「いいや、彼らはまだいるさ。アイルランドに。」
メアリーはほっと胸をなでおろし、窓から外を眺めた。美しいイングランドの景色を見ながら何故か大好きだったタスマニアのことを思い出していた。
14 琉球王国の歴史
琉球は日本列島に連なる温暖な群島で中国大陸からは隔絶されていた。五世紀ごろには部落が成立し稲作が始まっていた。日本や中国との交通が可能になると宗教、文字、武器、器材などが移入された。
12世紀ごろ武器の使用を背景に農村の支配者が出現した。これを按司という。14世紀按司の間で抗争がおこり、中山、南山、北山という三つの勢力に統合される。1372年琉球三国は明に臣下の礼を表し朝貢国となる。1429年統一国家が出現する(琉球王国)。
琉球王国は日本、中国、朝鮮、南方諸国と中継貿易を行い繁栄した。ひらがなが移入されたのは13世紀ごろといわれている。
16世紀はじめ、首都である首里には仏寺、城郭などが建設された。(日本の奈良時代に相当する。)南清王の時代に「おもろそうし」41首が編纂され1623年には全二十二巻1554首が完成する。(日本の万葉集に相当する。)
16世紀後半になるとスペイン、ポルトガル勢力の台頭により東南アジア貿易は衰退していった。明に清がとってかわると今度は清と朝貢関係を結んだ。1609年に薩摩藩が琉球王国に攻め入り降伏させる。以後清と薩摩藩への二重朝貢を行うことになる。18世紀には疲弊から立ち直り、沖縄文化の黄金時代が出現する。
1871年琉球人66名が台湾の高砂族に虐殺される事件(琉球事件)が起こり日本政府は台湾に出兵する。清政府は賠償に応じた。その後の日清戦争の結果沖縄の日本帰属が確定する。
日本の国内で明治維新による改革が進むと、1978年琉球は政府直轄の沖縄県となり藩政は終了する。翌年王家は東京に移住させられその後絶家となり琉球王国は滅亡した。
1941年日本と米国が開戦すると(太平洋戦争)重要な戦略地である沖縄では戦争末期に地上戦が行われ多大な被害をこうむった。終戦後は米国の統治をうけ琉球諸島独立の構想も浮上したが、まず奄美諸島が日本への帰属を強く希望し、沖縄も最終的には日本に返還された(1972年沖縄返還)。
日本が復興し高度経済成長を遂げると沖縄も県内の整備が進み農業、リゾート産業を中心に復興し首里城も修復された。芸能が盛んな沖縄は芸能人を多く輩出し日本のテレビに出演している。
めでたしめでたしなのか。そうではない。沖縄では毎年成人の日の式典が混乱するなど、若者の反体制的行動がめだつ。これには沖縄県人が大和民族ほど勤勉で従順でないという県民性が表れている。また沖縄は本質的にはアジアの周辺国家なので覇権国家が出現すると命運が大きく変わる。台湾が中国に飲み込まれたときは覚悟が必要だろう。
15 朝鮮略史
朝鮮半島(韓半島)は中国北部と境を接する山の多い寒冷な半島である。BC108年前漢は衛氏を滅ぼし、
楽浪郡など四郡を設置した。以後400年の間は韓半島の北部は中国が支配し南部は韓人が居住する安定した状況が続いた。
313年扶余族の高句麗が漢人の楽浪郡を滅ぼす。同じ頃倭人も百済、志良木を征服し倭人の国家をつくる。そのため高句麗と倭人はしばしば戦った。一方楽浪郡の東方に住んでいた穢人(ワイ人)が南下して志良木に侵入しこれを乗っ取る(新羅の建国)。以後韓半島は高句麗、新羅、倭の民族の異なる三勢力による動乱の時代に突入する。
新羅は562年も任那を滅ぼし、唐と手を結び660年には百済を滅ぼす。668年には高句麗をも滅ぼす。663年
には日本の援軍を白村江の戦いで破りこれにより倭(大和朝廷)は韓半島から完全に撤退する。
朝鮮民族は勝手に移住してきてその国を乗っ取るという習性をもつ。しかも歴史をよくみるとあの残虐な中国人よりもさらに残虐なのでわれわれ日本人はよっぽどの警戒が必要だ。
675年新羅は唐をも撃退し韓半島を支配下に置く。これが朝鮮民族による統一国家の始まりである。新羅は唐
の律令制をとりいれ国家体制をとりいれた。都を慶州におき仏教文化が栄えた。今では仏国寺が残っている。
ここまでは日本の奈良時代と酷似するが日本と違って古事記や万葉集に相当する文物を残していない。
935年に一武将だった王建が新羅を滅ぼして高麗を建てた。都を開城におき支配体制を整えたが貴族間の争いが激しくなり12世紀末に崔氏による武人政権が成立した。13世紀にはいり元の侵入を受けると武人政権は江華島に逃れて抵抗したが、降伏して属国となった(1259年)。
王朝ができても大陸と同じく他の王朝に取って代わられる。陸続きの国家では王朝の永続は到底不可能なことである。
高麗は元による日本侵略の基地となり元は1274年、1281年の二度にわたり日本に大軍を送ったが、日本の
武家政権が撃退した。時の執権北条時宗は防備を固めるとともに宋から招いた無学祖元を師とし建長寺において
日夜参禅に励み精神的支柱とし、国土の防衛に成功した。
禅はまさに国防のための最終兵器のようなものだった。将来においても日本の防衛には靖国神社などの精神的支柱が必要である。中国人や朝鮮人が靖国神社を極度に恐れるのはこのことにうすうす気づいているからだろう。また朝鮮人が自衛隊を極度に嫌うのは有事に反乱をを起こすつもりの自分たちを真っ先に殺しにくるのが自衛隊であることがわかっているからである。
高麗では金属活字や高麗青磁などの高い文化も生まれた。1388年高麗は大軍を発し明を攻めようとしたが、
李成桂は進軍を中止しクーデターにより自ら実権をにぎった。李成桂は国内の改革に着手し検地を行い科田法を実施した。1392年高麗最後の国王を廃し自ら国王となり李氏朝鮮を建国した。国号を朝鮮とし都を漢陽においた。仏教を廃し儒教を官学とし科挙を施行して官僚制を強化した。この時代に音読文字であるハングルが作られた。
1592年から豊臣秀吉による侵攻を二回にわたって受けた。明の力を借りて撃退できたが国土は荒廃した。
こういっては何だがこれは元寇のお返しのようなものであるので、やられたからといって根に持つのはよくない。むしろ自分たちのだらしのなさを恥じるべきだろう。
1636年には清に攻められ清の属国になった。列強による開国の圧力が強まると高宗の摂政である大院君は攘夷策をとるが江華島事件によりやむなく開国した。
1894年の東学党の乱を契機に清と日本との間に戦争がおこり日本が勝利する。その後朝鮮と日本は急速に接近し1910年の日韓併合に至る。このとき日本の資本と技術により初めて国内のインフラは整備された。太平洋戦争で日本が敗れると連合国により朝鮮は独立させられる。
連合国の政策により朝鮮半島が分断されると北では金日成が政権をとり、南では李承晩による政権ができる。
金日成は毛沢東とスターリンの援助を確約すると南に侵攻し朝鮮戦争が勃発する(1950〜1953年)。スターリンの死により休戦協定が結ばれるがこの戦乱により国土は焦土と化した。
第二次世界大戦では戦乱から免れたのに朝鮮民族はこのようなことをしてしまった。外国勢力と結んで政権を取ろうとするのはまさに売国奴の所為であり必ず最悪の結果をもたらす。
戦後韓国には在韓米軍が駐留し日本の援助などもあって経済が復興し豊かな国になったがその後凋落傾向を示している。北朝鮮は金日成、金正日と独裁体制が二代続き極貧国として滅亡の危機にある。核兵器を持つことにより形勢逆転を狙っているが未来は闇の中だ。
16 アルメニア人の町
アララット山の麓にアルメニア人の町ヴァンがあった。当時はトルコ領でトルコ人も混住していた。第一次大戦がおこるとロシアと組んだ分離独立勢力は武力で町を占領しトルコ人を殺し独立を宣言した。
よくある話である。
しかしその後ロシア革命がおこると革命政府は戦争停止を宣言しヴァンからも撤兵してしまった。トルコ軍は報復としてヴァンのアルメニア人を大量虐殺し町も徹底的に破壊してしまった。残りの住民は強制移住させられた。
これもよくある話である。
ひとつわかるのはトルコ人もロシア人も凶悪さからすると同類であるということだ。
ここ何日かの思索によって世界が見えてしまった?
王権は血のあがないと剣の威力によって守られるのだ。---古事記 角川ソフィア文庫
日本は古代において王権が確立し淡々と現代まで維持されてきた。血のあがないで発狂
すると仏教が生まれ、王権がめちゃくちゃになる世界からはユダヤ教、キリスト教、イスラム教
が生まれた。
日本は血のあがないにも発狂せず王権を維持し国を繁栄させた最優秀の国かもしれない。
共産主義で起きた悲劇も結局お金と(女を)どのように分配するかという手段の問題に過ぎない。
暴力でやろうとしたのが共産主義である。
さて王族の王子として生まれたブッダは最初からお金と女は十分すぎるほど与えられているので
もっぱら関心は死についてそそがれる。日本の貴族も同じような立場だから仏教が流行するのも
わかりやすい。
現代の諸問題もこのお金と女の分配から生じていると考えればわかりやすい。漂流教室で最後は
女の取り合いになったのには唸ってしまった。
これは男から見た世界観なので女性の立場がないのだが、女性から見るとどうなるのかは誰か
著述してみてください。かなり怪奇なものになるかと思うし、想像すらつかない。
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